サンパウロで「沈黙の行進」、国家暴力を告発
2026年 03月 30日

ブラジル、サンパウロ市で3月29日(日)、国家による暴力の犠牲者を追悼する「第6回・沈黙の行進」が行われた。
集合場所となったのは、午後4時から、トゥトイア通りにある旧内部防衛作戦本部・情報作戦部隊(DOI-Codi/SP)の建物前。ここはブラジル軍事独裁(1964〜1985)の時代、弾圧や拷問が行われた主な拠点の一つとして機能していた場所である。
行進は軍警の警備のもと、市南部の通りを進み、イビラプエラ公園内にある「政治的動機による死者・失踪者追悼記念碑」を目指した。警察官らは参加者の列の周囲を巡回しながら同行した。
この行進は、ウラジミール・ヘルツォーク機構と政治記憶保存センターが主導する「沈黙の声」運動によって組織され、犠牲者遺族や人権団体のメンバーなど数百人が参加した。
「過去から学び、未来を築く」を掲げた今回の行進では、軍事独裁期に行われた犯罪を想起するだけでなく、民主化以降も数十年にわたり繰り返されてきた国家暴力の実態を告発する場ともなった。
ウラジミール・ヘルツォーク機構の「記憶・真実・正義」部門のコーディネーター、ロハーニ・ホドリゲス氏は、民主化以降もなお、独裁政治の影響について議論する重要性を強調した。
「軍事独裁は、一般的なイメージでは“過去のどこかに置き去りにされたもの”、つまり、あの時代に起きたことは過去の話で、もう語る必要も話し合う必要もないものとして捉えられがちです」(ロハーニ・ホドリゲス氏)
続けてロハーニ氏は、民主主義の強化の必要性に触れながら、「今回の行進のテーマは、軍事独裁期が現在、つまり現代社会にどのような影響を及ぼしているのかを理解し、そこから未来を考えるという議論を提起するものです」と語った。
「私たちは、この民主主義がどのように構築されてきたのかについても考えなければなりません。現状のままでは不十分であり、社会の大きな一部にとって平等なものになっていません。今回の行進は、過去と現在をより具体的な形で人々に結びつけたいという思いを込めたものです」(ロハーニ・ホドリゲス氏)
記憶・真実・正義の分野で成果を上げるための手段の一つとして、彼女は「国家真実委員会(CNV)の勧告」を挙げた。
「ブラジル国家に対する49の勧告がありますが、発表から現在に至るまで、その多くは履行されていないか、部分的にしか実施されていません。私たちはすでに道筋を持っており、同機構では2年ごとに勧告の履行状況を監視しています。しかし、これまでに見られたのは小さな動きであり、いくつか重要な前進はあるものの、社会に対して勧告が求めている水準にはまだ程遠いと言わざるを得ません」(ロハーニ・ホドリゲス氏)
ウラジミール・ヘルツォーク機構のホジェーリオ・ソチリ事務局長は声明で、「沈黙の行進」は権威主義や歴史の抹消に対する集団的な応答として生まれたと述べた。彼は、軍事独裁が残した不処罰の構造が、現在も続く国家暴力に反映されていると指摘した。
「5回の開催を経て、私たちはこの行動を生み出した原点の思いを取り戻したいと考えています。近年、法の支配と民主主義の擁護は、国家の最高機関に大きく委ねられてきましたが、私たちは依然として深刻な民主主義への攻撃に直面しています。だからこそ、今こそ私たちが街頭に立ち、自らの力を再び示すべき時なのです」(ホジェーリオ・ソチリ事務局長)
今回の取り組みには、30を超える市民団体、社会運動、人権団体が参加した。
今年はさらに、連邦最高裁(STF)のフラヴィオ・ジノ判事が示した見解、すなわち遺体隠匿のような「継続犯(※犯罪の結果が現在も続いているとみなされる犯罪類型)」に該当する犯罪については、恩赦法の適用を排除できる可能性があるという点にも注目が集まった。
声明の発表に続いて、軍事独裁期の国家暴力の犠牲者、そして現在も同様の暴力に苦しむ人々の名前が読み上げられた。
一人ひとりの名前が告げられるたびに、参加者たちは声を揃えて「プレゼンチ!(ここにいる)」と応じた。
行進で掲げられた声明は以下。

<「第6回・沈黙の行進」マニフェスト>
「きょう、私たちは沈黙のうちに歩いている。しかし、それは“不在”ではない。
私たちの沈黙は、生きた存在であり、抗い続ける記憶であり、忘れることを拒む一人ひとりの歩みに響く声だ。
私たちは、国家が拷問し、殺し、物語を消し去ろうとした旧DOI-Codiという痛みの刻まれた場所を出発し、物語は消されていないことを訴え続ける記念碑へと向かった。
私たちの死者は過去にいるのではない。私たちの失踪者は“不在”ではない。
国家暴力の犠牲者一人ひとりは、今もなお“存在”し続けている。
『沈黙の行進』が緊急の抵抗として生まれたのなら、私たちが歩み続けるのは、いまもなお必要だからだ。
この行動は、民主主義が公然と脅かされ、権威主義が“記憶”ではなく“企図”として再び姿を現した時期に生まれた。
そして今日、数年を経た今も、私たちがここにいるのは、その脅威が消えていないからだ。それは形を変え、再編され、今も潜んでいる。
民主主義を守ることが、これほど重要だった時代はない。そして忘れてはならないのは、この闘いが途切れることのない営みだということだ。
繰り返さないために記憶する。歴史を忘れないために記憶を手放さない。
記憶がなければ、暴力は“当たり前”になり、真実がなければ、嘘が制度化され、正義がなければ、野蛮は繰り返される。
国家暴力は過去のものではない。
記憶・真実・正義のために闘うとは、不処罰を受け入れないという意思表示であり、拷問者、その共犯者、そして恐怖政治を支えた者たちの責任を求めることだ。
はっきりと宣言する。独裁は二度と許さない。拷問は二度と許さない。
このマニフェストは、単なる告発ではない。これは“責務”だ。
だからこそ、私たちは呼びかける。
恐怖を経験していないが、その結果を受け継ぐ新しい世代へ。沈黙してはならない市民社会へ。守られるべきであると同時に、変革されなければならない諸制度へ。
いまは選択の時だ。忘れるか、記憶するか。繰り返すか、変えるか。沈黙するか、行動するか。
私たちは知っている。抵抗とは、過去を思い出すことだけではない。未来のために闘うことだ。
今日、私たちの沈黙は語っている。そしてその声が伝えることは、単純で、譲ることのできないものだ。
忘れないために。
二度と繰り返さないために。
私たちは歩み続ける」
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)




