数々の悲劇を乗り越えて、ジャズ歌手として活動するクラウジア・ボーズリ

2026年 05月 19日

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(画像提供/ブルーノート東京)

ジャズ~エレクトロミュージックのジャンルで活躍するブラジルのシンガー・ソングライター、クラウジア・ボーズリ(ボスリ)がブルーノート東京に登場する。

1980年にサンタカタリーナ州フロリアノーポリスに生まれたクラウジア・ボーズリ・ジ・カンポスは、11歳の時に、フロリアノーポリスのショーロ界の重鎮として知られるヴァギネル・セグーラに師事してギターを学び、姉フェルナンダと共にカタリネンシ大学のタレントショーで初めてステージに立って歌った。

大学で観光・ホテル業を専攻したクラウジアは、在学中のホテルで研修生活を送りながら、夜は姉と共に市内のバーやナイトクラブで歌う日々を送っていた。

2000年に、70年代から活躍するシンガー・ソングライター、オズヴァウド・モンチネグロがフロリアノーポリスを題材にした作品「レンダス・ダ・イーリャ」を発表した際に、作品にちなんだショーへの出演を果たし、より深く音楽の世界に魅了された。

2001年には文化統合センター(CIC)で開催されたフェルナンダ・アブレウのショーでオープニングアクトを務めている。

2002年に大学を卒業後、音楽の道へ進むことを決心したクラウジアは2023年にタレント発掘番組「ハウウ・ジウ」に出演。ファイナリストとなったことで彼女の存在は全国に知られるようになった。

2003年、マルコ・ポンチスが製作した、ブラジル音楽をドラムンベースで再構築した企画アルバム「Brazil Bossa ‘N’ Bass」へ参加するためサンパウロへ進出。この作品は日本では東芝EMIから発売された。名義はクラウジア・カンポスとなっている。

2005年から2009年まで、クラウジアはポルトガルやモナコなどヨーロッパをはじめ世界各地で活動している。地中海を巡るクルーズ船でのショーや、アラブ首長国連邦での音楽フェスティバルにも出演した。この4年間でクラウジアは、自分が、歌手としてジャズとの親和性が高いことに気が付いたという。

2009年末にブラジルに帰国したクラウジアを待っていたのは、運命的な出会いだった。「セウ・アズウ」などのヒット曲で知られるロックバンド、シャーリー・ブラウン・ジュニオールの創設メンバーでベース奏者シャンピオンことルイス・カルロス・レアォン・ドゥランチ・ジュニオールと、共通の友人宅で出会った彼女は意気投合、たちまち公私にわたるパートナーとなった。

シャンピオンは1992年に、12歳ころからの長い付き合いのヴォーカリスト、ショラォンらと共にシャーリー・ブラウン・ジュニオールを結成。しかし2005年にシャンピニオンは、他の創設メンバーと共にバンドを脱退。以降、ヘヴォルシオナーリオス(~2008)、ノヴィ・ミウ・アンジョス(~2009)などのバンドで活動していた。クラウジアと出会ったのは、ノヴィ・ミウ・アンジョスが解散したころのようだ。

シャンピオンとの出会いについてクラウジアは、「マリクレール」ブラジル版へのインタビューで次のように語っている。

「同じ音楽業界にいながら、彼はロック、私はジャズという違う世界にいたため、それまで面識はありませんでした。私たちは出会ってすぐに1曲(『Bright Light』)を共作し、そのまま84時間を一緒に過ごしました。この“84時間”は、後に私自身の別の楽曲タイトルにもなりました。出会った瞬間から恋に落ち、私たちは美しく濃密な恋愛を生きました」

ふたりは共作プロジェクトを始動させているが、並行して2011年、ショラォンとの確執が雪解けしたシャンピオンはシャーリー・ブラウン・ジュニオールに復帰。衝突することもあったがバンドはなんとか続いた。

その間。2012年にクラウジアとシャンピオンは同居を始めている。しかし公私ともに幸せな日々を送るはずだったふたりは悲劇に見舞われる。

2013年3月6日、ショラォンがコカインの過剰摂取でこの世を去る。シャーリー・ブラウン・ジュニオールは消滅した。

シャンピオンはバンドの元メンバーたちを中心とした、シャーリー・ブラウン・ジュニオールの後継バンドともいえるア・バルカを結成。同年、最初のシングル「オ・ノーヴォ・パッソ」は高く評価された。ショラォン追悼ツアーに出たバンドは、翌2014年にはアルバムを発表する予定だったが、実現することはなかった。

ショラォンの死後、すぐに始動したア・バルカに対する批判の矢面に立たされたシャンピオンは、金銭問題など様々な要因が心にのしかかり、精神的に追い詰められて不安発作やうつ状態が悪化。2013年9月8日、拳銃で自殺してしまった。

このとき、残されたクラウジアのお腹の中にいたショラォンとの子マリア・アメリアは、翌2014年に生まれた。

ショックを受けたクラウジアはマリアを連れて故郷フロリアノーポリスに戻り、母親に支えられながら沈黙を続けた。

シャンピオンの死から2年を経て生きる気力を取り戻したクラウジアは、2015年に夫への追悼の意を込めて、シャンピオンとの共作曲「Bright Light」をビデオクリップと共に発表。自身はジャズ歌手として再スタートを切った。

「2015年、これまでの出来事から少しずつ気力を取り戻し始めていた頃、私は以前から憧れていたサンパウロの名門ジャズクラブから歌唱の招待を受けました。オーディションを受け、金曜と土曜の夜に出演する契約が決まりました。あれほどの悲しみを経験したあと、自分が再び歌えるのかどうかすら分からなかった私にとって、音楽は生き延びるための“つながり”であり、存在し続けるための手段であり、そして抵抗の形でもありました。そうして私は再び息を吹き返したのです。サンパウロに戻り、娘マリア・アメリアとともに新しい生活を築きました。あのジャズクラブで、観客が向けてくれる拍手や温かい言葉は、私にとって癒やしであり、立ち直れたという確かな証でした。私はそこにいて、人々を喜ばせ、そして自分自身をも励まそうとしていたのです」

サンパウロで活動を再開したクラウジアだったが、Covid19のパンデミックで活動が途絶えると、股故郷フロリアノーポリスに帰郷。この時期、パンデミックで母親を失っている。

2020年、クラウジア・ボ―ズリの名義によるジャズ・アルバム「クラウジア・ボーズリ」を発表。

続いてクラウジアは、シャンピニオンと出会ってすぐに始まった共作ユニットBoss Le Champの音源を世に出すべく、新たに音楽プロデューサーを迎えて作品作りに取り掛かった。この時知り合った音楽プロデューサー、アンドレ・ルカレッリは、クラウジアの新たなパートナーとなった。

想い出の曲「84時間」などを含むBoss Le Champの作品は2022年にリリースされている。

現在、故郷フロリアノーポリスを拠点に活動しているクラウジアは、今年2026年5月には室内オーケストラ、カメラータ・フロリアノーポリスとの共演による新曲「カータヴェント・イ・ジラソウ(風車とひまわり)」をリリースしたばかりだ。

2000年代初頭からプロとして活動を開始したクラウジアだったが、結婚や夫の突然の死、パンデミックなど様々な出来事を乗り越えてたクラウジア・ボーズは今、精力的に活動を行っている。

そんなクラウジアのブルーノート東京でのステージは、ドイツのジャズ・ピアニスト、マイク・デル・フェローのトリオとの共演。ゲストで、ブラジル音楽への造詣も深いインドネシア出身のハーモニカ奏者レガ・ダウナ、ジャズ~インスト音楽界で活躍するサンタカタリーナ州の名ギタリスト、ドゥドゥ・ピメンテウが参加する。

CLAUDIA BOSSLE meets MIKE DEL FERRO TRIO
Special Guests:Rega Dauna, Dudu Pimentel
クラウジア・ボーズリ(ボスリ) meets マイク・デル・フェロー・トリオ
Special Guests:レガ・ダウナ、ドゥドゥ・ピメンテウ

ブルーノート東京
2026 5.23 sat.
[1st]Open 3:30pm Start 4:30pm [2nd]Open 6:30pm Start 7:30pm

ブルーノート・プレイス
2026 5.24 sun.
Open 5:30pm Start 6:30pm

MEMBER
Claudia Bossle(vo) クラウジア・ボーズリ(ヴォーカル)
Mike del Ferro(p) マイク・デル・フェロー(ピアノ)
Rega Dauna(harmonica) レガ・ダウナ(ハーモニカ)
Dudu Pimentel(g) ドゥドゥ・ピメンテル(ギター)
Sebastiaan Kaptein(ds) セバスティアン・カプテイン(ドラムス)
Tomokazu Sugimoto(b) 杉本智和(ベース)

公演の詳細 https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/claudia-bossle

(文/麻生雅人)