毎日がフェスティバル!? ブラジル人と働く日々。
2014年 02月 24日
部下も社長もブラジル人という、ブラジル人に囲まれた職場で働きはじめて3年目を迎えた。日々、笑わせられることばかりで、時には腹の立つこともあったが、彼らの考え方に感心させられることもある。それどころか、思いっきり感動させられることもたびたびで、日本で働いて、こんなに感情をぶつけあって仕事をする環境というのはなかなか珍しいので、まさに毎日がフェスティバルだ。
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部下も社長もブラジル人という、ブラジル人に囲まれた職場で働きはじめて3年目を迎えた。日々、笑わせられることばかりで、時には腹の立つこともあったが、彼らの考え方に感心させられることもある。それどころか、思いっきり感動させられることもたびたびで、日本で働いて、こんなに感情をぶつけあって仕事をする環境というのはなかなか珍しいので、まさに毎日がフェスティバルだ。
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1990年に来日した自分は、ブラジルがW杯で優勝する姿を見ることができずにいた。
大学1年生だった1994年にはワールドカップ・アメリカ合衆国大会が開催され、深夜にもかかわらず、ブラジルの試合を観戦した。前回に書いた「マイアミの奇跡」の2年前のことだ。サッカー好きな同級生もブラジルの活躍をみて、「今年はブラジル調子いいね」とコメントしていたのを覚えている。
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ブラジルを旅行した方、もしくは住んでいた方はよくおわかりだと思うが、ブラジルには日本にも昔はたくさんあった、いわゆる家族経営のパパママストアがたくさんある。どういうわけか、大型スーパーの近くにもあったりする。そして、小さなバースタンドなどは至る所にある。何軒も同じような店が並んであったりもする。こんなにたくさんあって、よく商売が成り立っているなあと感心する。
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1994年W杯で24年振りの優勝を果たしたブラジルは、1996年のアトランタオリンピックで国内初となるサッカーの金メダルを狙っていた。
ブラジルは日本、ハンガリー、ナイジェリアと同じグループDに入っていた。
セレソンには、94年W杯優勝時のメンバーのFWベベット、DFアウダイールに加え、MFリバウドが オーバーエイジ枠として召集されていた。さらにザガロ監督は、DFロベルト・カルロス、GKジーダ、FWロナウジーニョ、MFジュニーニョ・パウリスタも招集した。
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1982年スペイン大会の失敗から4年。1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会で、ブラジル代表に再びチャンスが訪れた。
監督は前大会同様、テレ・サンターナが指揮をとることとなった。
召集メンバーの中には、翌87年から日産自動車(現在の横浜Fマリノス)でプレイするオスカー、93年から柏レイソルでプレイするカレッカと、日本に馴染みのある選手の名もあった。黄金のカルテットを構成していた内の3人、ジーコ、ソクラテス、ファルカンも招集された。
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前回に引き続き、W杯で日本代表が戦う都市について記述していきたいと思う。今回は、2戦目の舞台となるナタウのサッカー事情について。
ナタウはNatalと表記し、現地語ではLをルではなくウと発音するので、ナタウとなる。サンパウロのサッカーチームPalmeirasをパルメイラスではなくパウメイラスと発音するのと同じである。
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FIFAワールドカップTMといえば、大会の象徴として、トロフィーの存在が大きい。FIFAの初代会長だったジュール・リメ(フランスサッカー連盟会長でもあった)がワールドカップとサッカー界に多大な貢献をしたことから、その名が使われて「ジュール・リメ・トロフィー」と呼ばれるようになった。
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黄金のカルテットが誕生した、1982年、ワールドカップ・スペイン大会。
7月5日、エスタディ・デ・サヒア(サヒア競技場)で行われた2次リーグの最終戦、ブラジル対イタリアは、勝者が決勝トーナメントへ進むという重要な試合でした。
この日も黄金のカルテットは健在。ブラジルが、皆を魅了するサッカースタイルで勝利することを、誰もが確信していました。
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