カテゴリ : column サッカー ワールドカップとブラジル人
2014年 02月 7日 15:18
黄金のカルテットが誕生した、1982年、ワールドカップ・スペイン大会。
7月5日、エスタディ・デ・サヒア(サヒア競技場)で行われた2次リーグの最終戦、ブラジル対イタリアは、勝者が決勝トーナメントへ進むという重要な試合でした。
この日も黄金のカルテットは健在。ブラジルが、皆を魅了するサッカースタイルで勝利することを、誰もが確信していました。
しかしこの試合では、イタリアのパオロ・ロッシが爆発しました。
ブラジルのソクラテスとファルカンもゴールを決めたものの、パオロ・ロッシがハットトリックを決め、決勝トーナメントへ進 み、そのまま優勝しました。
ブラジルは華麗なサッカーを披露しながらもイタリアに破れ、応援していたサポーター達はそれをとても惜しみました。この出来事は「サヒアの悲劇」と呼ばれ、ブラジルサッカー史に残ることとなりました。
ちなみにブラジルが再び優勝するのは、この事件から、12年後の1994年、アメリカW杯でのことです。
(写真/Getty Imeges)
写真は1982年7月5日、スペイン、マドリード。ブラジル対イタリア、ジュニオール(左)とパウロ・ロッシ(右)
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著者紹介
浅野雅雄 Masao Asano ブラジル出身。来日する前、16歳まで住んでいた地域がサンパウロFCのホームグラウンド近くだったので自然と“サンパウリーノ”(サンパウロFCファ ン)になる。日本で大学卒業後、一般企業に勤めたが母国の心を忘れず、ブラジルと関係のある企業へ転職。現在はアイピーシーワールドのシステム・エンジニア、雑誌「ヴィトリーニ」で最新テクノロジー記事を担当。