2014年、ミック・ジャガーがリオで大型ロックフェスを開催!?ミックとブラジルの長くて深い関係とは・・・

2013年 08月 19日

Brazil Mick Jagger 1967

2013年の6月29日、世界最大といわれるロックフェス、グラストンベリー・フェスティバルに初出演して話題を振りまいたばかりのローリング・ストーンズ。

今度はフロントマンのミック・ジャガーが2014年の11月に、リオで大規模フェスを開催したいと語っているという関係者の談話を、8月17日付けで英タブロイド紙「サン」WEB版が伝えている。イベントは、ヒッピー色を打ち出したものになるという。

「サン」のニュースだけに信憑性はなかなか微妙なところだが、ミックはブラジルとは深いつながりがあるだけに、ミックがブラジルでイベントを企画すること自体は、まったくありえない話ではない。

ストーンズは2006年にコパカバーナ・ビーチにてフリーライヴを敢行、100万人以上の大観衆を集めたことも記憶に新しい。しかし、ミックはそれ以外にも、何度もブラジルを訪れている。

ミックが初めてブラジルを訪問したのは1967年末(1968年説もあり)、といわれている。同行したのは当時ミックの恋人だったマリアンヌ・フェイスフルと、マリアンヌの息子ニコラス、キース・リチャーズ、キースの恋人だったアニタ・パレンバーグ。ミックは、リオ、サンパウロ、バイーアを訪ねたという。

次にミックがブラジルを訪ねたのは1973年。今回も休暇旅行で、このときは71年に結婚したビアンカ・ジャガーが同行した。夫妻は、リオのジョアチンガにある、ブラジルの女優Florinda Bolkan フロリンダ・ボウカン宅に約1か月滞在したという。国際的な舞台で活躍していたボウカンは、映画「キャンディ」(68)でアニタ・パレンバーグと共演している。

1976年にもミックはリオへ。このとき、“Black Rio ブラッキ・ヒオ”ムーヴメントの立役者となるDJ Big Boy ビッギ・ボーイと対面している。

この滞在中、1月10日にミックは、リオのフォノグラム・スタジオでブラジル人ミュージシャンと“Scarlet”という曲を録音したといわれているが、テープは未公開にされた。

Nico Zentgraf「THE ROLLING STONES DATABASE」によると録音に参加したのは錚々たる顔ぶれだ。後にオス・ノヴォス・バイアーノス、ア・コル・ド・ソン、バラォン・ヴェルメーリョに参加、今も大活躍中のDadi ダヂ(ベース)や、Luiz Cláudio ルイス・クラウヂオ (ギター)、Antonio Adolfo アントニオ・アドウフォ(ピアノ)、Paulinho Braga パウリーニョ・ブラガ (ドラムス)、そしてパーカッション陣はNeném ネネン、Marçal マルサウ、Eliseu エリゼウ、Lula ルーラ、Risadinha ヒザジーニャ、Canegal カネガウ。

ちなみにこのセッションは1973年の来伯時という説もある。

1983年、ミックは、今はもうないTV Manchete TV マンシェッチのトーク番組「Conexão Internacional コネクサォン・インテルナシオナウ」に出演、カエターノ・ヴェローゾと共にインタヴューを受けたとされている。

1984年、ミックは初めて、正式な仕事でブラジルへ。翌85年に発売された初のミックのソロ・アルバム「She’s the Boss」のプロモーションのための映像作品「Running Out Of Luck(「ミック・ジャガーのおかしな逃避行」)」(監督ジュリアン・テンプル)の撮影が行われた。

1995年、ローリング・ストーンズが初のブラジル公演。「ヴードゥー・ラウンジ」ツアー。

1998年は、またもストーンズで「ブリッジズ・トゥ・バビロン」ツアー。当時ジェリー・ホールと結婚していたミックは、このツアーでブラジル人モデル、Luciana Gimenez ルシアーナ・ジメニスと出会ったといわれている。

ミックは、1999年5月、ルシアーナ・ジメニスとの間に息子ルーカスをもうけている。現在、ルシアーナはテレビ局「Rede TV!」のレポーターとして活躍、同局の副社長と結婚している。

そして2006年、ストーンズはコパカバーナでフリーライブを敢行、話題になった。

もし本当にミックがブラジルでロックフェスを開催するのなら、伝説の“Scarlet”セッションの現存メンバーを招集して、“Scarlet”を演奏してほしい。

(文/麻生雅人、写真/Photoshot/アフロ)
写真は1967年12月、ミック・ジャガーとマリアンヌ・フェイスフル(右)