アントニオ・カルロス・ジョビン作品集が話題。現代MPBを代表する歌手の一人、Vanessa da Mata ヴァネッサ・ダ・マタ

2013年 08月 23日

Nivea Viva Tom Jobim Concert with Vanessa da Matta and Caetano Veloso

ヴァネッサ・ダ・マタことヴァネッサ・シジアーニ・ダ・マタ・フェヘイラは1976年2月10日にマトグロッソ州の州都クイアバから約400キロ離れた小さな街アルト・グラッサスにて生まれた。ラジオやレコードでサンバ、カリンボー、セルタネージャ、ブレーガなどを聴いて育った彼女は、ルイス・ゴンザーガ、ジョビン、ミルトン、オルランド・シルヴァとをフェイバリットに挙げている。なかでもクララ・ヌネスは作曲においてもっとも影響を受けたアーティストだそうだ。

14歳の時に医学の道を志しミナス・ジェライスへ移り住むも、そこで、自分の夢は歌手であることに気が付き本格的に音楽活動を開始する。

16歳でサンパウロへ移った彼女は、女性レゲエ・バンド=シャラ・バルと活動を始める。ブラック・ユフルのツアーでバック・コーラスを務めるほどの成功を収めるが、同時にマフアという民族音楽パーカッションのバンドを、更にはバスケットボール選手、モデルとしても活躍。その多彩な才能を発揮する。

1997年にはシコ・セーザルと出会い「ア・フォルサ・キ・ヌンカ・セカ」を共作。のちにマリア・ベターニアに録音されることとなったこの曲はアルバムのタイトルにも採用され、なんとラテン・グラミーにノミネートされる。この曲はシコ・セーザルが彼のアルバムでも再録している。

この頃より作曲家としても注目されるようになったヴァネッサは、ベターニア、カエターノ、ダニエラ・メルクリ、アナ・カロリーナらに曲を提供。一方でミルトンやベターニア、バーデン・パウエルらのバック・ヴォーカルを務めるようになった。

充分なキャリアを築いた彼女は2002年にソニー・ミュージックから1stアルバム「Vanessa da Mata ヴァネッサ・ダ・マタ」をリリース。「ナォン・ミ・デイシャ・ソ」は最大のヒット曲となりブラジルとポルトガルのチャートにランク・イン。このアルバムからは「ノッサ・カンサォン」、「オンヂ・イール」がテレビ局グローボのサウンドトラック・アルバムに収録された。

2004年には2ndアルバム「エッサ・ボネーカ・テン・マヌアル」をリリース。初のブラジル・チャート一位となった「アイ、アイ、アイ」はスウェーデンのチャートでもランク・インを果たした。

2007年には3rdアルバム「シン」をリリース。レゲエを代表するリズム・セクション=スライ&ロビーを迎えるなど彼女の広い音楽的見識が反映された本作からは、「アマード」、そしてアメリカの人気シンガーソングライター=ベン・ハーパーとデュエットした「ボア・ソルチ/グッド・ラック」はともにブラジル・チャートで1位を記録した。とりわけ後者はポルトガルでも1位を記録した。

2009年にはテレビ・チャンネル「ムルチショウ」バックアップのもと、ライブ盤「ムルチショウ・アオ・ヴィーヴォ」をCD/DVDで同時リリース。2010年にはスタジオ・アルバム「ビシクレッタス、ボーロス・イ・オウトラス・アレグリアス」をリリース。2011年にはセウ・ジョルジ&アルマズとともに「レッド・ホット・リオ2」の録音に参加するなど精力的に活動。いまや音楽関係者のみならず誰もが認めるSSWへと成長した。

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そんなヴァネッサの最新作は、彼女自身も敬愛するアントニオ・カルロス・ジョビン曲集「カンタ・トン・ジョビン」だ。化粧品会社ニヴェアとのコラボレートで制作されたこのアルバムは、プロデューサーに新世代ブラジル音楽の代表格であるカシン、アレンジにはボサノヴァ黎明期からアメリカでの活動も含めジョビンと同時代を生きた大御所エウミール・デオダートが参加。「カミーニョス・クルザードス」 「ソ・ダンソ・サンバ」 「ショヴェンド・ナ・ホゼイラ」 「ヂザフィナード」 「コヘンテーザ」 「エストラーダ・ド・ソル」といった名曲群を現代に甦らせた。

現在、「ヴァネッサ・ダ・マタ・カンタ・トン・ジョビン」ツアーをブラジル中で行っている彼女。日本でもその歌声を聴ける日がいつかくるのだろうか。

(文/江利川侑介(diskunion)、ステージ写真/LatinContent/Getty Images)

写真は今年6月9日、リオデジャネイロのイパネマで行われたショウ「ヴィヴァ・トン・ジョビン」より。カエターノ・ヴェローゾ(左)と

http://diskunion.net/latin/ct/detail/WOR25211