ボサノヴァの重要人物のひとり、オスカー・カストロ・ネヴィス、73歳で他界
2013年 09月 30日ボサノヴァ時代から活躍した作編曲家、ヴィオラォン奏者、プロデューサーのOscar Castro Neves オスカー・カストロ・ネヴィスが9月27日(金)、合衆国のロスアンジェルスにある自宅で他界したことをグローボG1(28日付け)が伝えた。死因は癌で、末期段階を自宅で過ごしていたという。73歳だった。
オスカー・カストロ・ネヴィスは1940年5月15日、リオデジャネイロ生まれ。兄弟6人が全員音楽家になったことでも知られている。G1によるとオスカーが最初に手にした楽器はカヴァキーニョで、その後ヴィオラォンに転向したという。
Mário マリオ(ピアノ)、Antonio Carlos (Iko) イコことアントニオ・カルロス(ベース)、Léo レオ(ドラムス)の兄弟たちと組んだグループで活動をスタート。1955年には兄弟によるクアルテートはペトロポリスのRádio Difusora ラジオ・ヂフゾーラを通じてアメリカのジャズを演奏するグループとして知られる存在となった。後に、ヴォーカルにManuel Gusmão マヌエウ・グズマォンを迎えて5人組となり、グループはオス・モデルノスと名乗った。
ペトロポリスからラランジェイラスに家族が引っ越してからは、カストロ・ネヴィス家のアパートには音楽家が集い、常にジャムセッションが行われれていたという。
オスカーの最初のヒット曲は16歳のときに作った「Chora Tua Tristeza(ショラール・トゥア・トリステーザ)」。同曲は、Carlos Lyra カルロス・リラ「Bossa Nova」(1959)、Alaíde Costa アライーヂ・コスタ「Alaíde Canta Suavemente(アライヂ・カンタ・スアヴィメンチ)」(1960)、Dalva de Andrade ダウヴァ・ヂ・アンドラーヂ「Serenata Suburbana(セレナータ・スブルバナ)」(1960)などに収録されている。
1960年にはボサノヴァの中心的存在の一人となっていたオスカーは、カルロス・リラと共に企画アルバム「Bossa Nova em Mesmo(ボサノヴァ・エン・メズモ)」を制作。自身もOscar Castro Neves e Seu Conjunto オスカー・カストロ・ネヴィス・イ・セウ・コンジュントで演奏した。
このころすでに名曲を残している。「Não faz assim(ナオン・ファス・アッシン)」(Ronaldo Bôscoli ホナウド・ボスコリと共作)はRoberto Menescal e Seu conjunto ホベルト・メネスカウ(ロベルト・メネスカル)・イ・セウ・コンジュントのコンパクト盤「Bossa é Bossa」、「Menina Feia(メニーナ・フェイア)」(Luvercy Fioriniと共作)がFats Elpidio ファッツ・エウピリード「Piano Bossa Nova」(1960)やRoberto Menescal e Seu conjunto ホベルト・メネスカウ(ロベルト・メネスカル)・イ・セウ・コンジュント「Bossa Nova」(1964)などに取り上げられている。
オスカーは1962年11月21日にニューヨークで開催された伝説のボサノヴァ・コンサートへは音楽ディレクターも務めた。同コンサートへの参加を契機に、オーディオ・フィデリティ社と契約。合衆国でも「Big Band Bossa Nova」でレコードデビューを果たした。
その後も、プロデュース、作編曲、演奏で幅広く活躍。セルジオ・メンデス&ブラジル66、兄マリオのグループ、マリオ・カストロ・ネヴィス&サンバS.A.などでも演奏した。
合衆国に拠点を移してからはジャズや映画音楽の世界でも活躍。1980年代にはJVCと契約してブラジリアン・フュージョン作品を残している。
映画関係では、マイケル・ケイン主演のリオ撮影作品「アバンチュール・イン・リオ(Blame It on Rio)」(1984)でスーパーバイザーを務めたほか、「プロブレム・チャイルド うわさの問題児(Problem Child)」(1990)、「微笑みがえし(Opportunity Knocks)」(1991)、「おつむてんてんクリニック(What About Bob? )」(1991)、「L.A.ストーリー(L.A. Story)」(1991)、「ヒー・セッド、シー・セッド 彼の言い分(He Said, She Said)」(1991)、「ハウスシッター/結婚願望(HouseSitter)」(1992)、「天使にラブソングを2(Sister Act 2: Back in the Habit)」(1993)、「最高の恋人(Mr. Wonderful )」(1993)などのオーケストラを手掛けた。
2006年にはソニア・ホーザ(ローザ)のブルーノート東京公演の音楽監督として来日。Jair Oliveira ジャイール・オリヴェイラ、Wilson Simoninha ウィウソン・シモニーニャをブラジルから迎えての大所帯による賑やかなステージを楽しそうに指揮していた姿が今も忘れられない。
2008年にはリオのコパカバーナ海岸で大規模に開催された「ボサノヴァ50周年コンサート」に出演、音楽コーディネーターも務めた。
(文/麻生雅人、写真/Getty Images)
写真は2011年6月13日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ブレントウード市のワーズワース劇場で開催された「The Songs of Our Lives: Volume IV」コンサートで演奏するオスカー・カストロ・ネヴィス