Entrevista 「聖者の午後」フランシスコ・ガルシア監督

2014年 04月 14日

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「聖者の午後(Cores)」が、現在、渋谷ユーロスペースで公開中の「聖者の午後(Cores)」、フランシスコ・ガルシア監督のインタビュー後編。

この映画の主人公3人組ルカ、ルイス、ルアラは、社会的には“中流の下”といえる階層に属するサンパウロの都市生活者だが、時代からは取り残されている。しかし、そんな人たちは実際、サンパウロには数多くいるのだろう。

「ルイスは、セントロと呼ばれる旧市街区に住んでいますが、この地区では価値のある歴史的な建物が次々と壊され、再開発が進められています。ルイスをとおして変わりつつあるサンパウロを表わしていますが、彼は立ち退きを迫られています」

変わりゆくブラジルの波に完全に乗り遅れているルイスは、携帯電話すら持っておらず、公衆電話の利用者だ。この映画はフィクションなので物語も登場人物のキャラクターも創作ではあるが、彼らの生活には、今現在のサンパウロの姿が映し出されている。その点では「聖者の午後」は、ドキュメンタリー映画の視点や手法を取り入れた優れたフィクション作品が多いブラジル映画の、良き伝統を受け継いだ作品ともいえる。

「ルアラは飛行場の真ん前にあるアパート暮らし。つねに飛行機が飛び立つところを見て暮らしているので、自分もいつか、この場所から“飛び立ちたい”と思っていますが、そもそも彼女は、自分の人生すら離陸させていません」

しかし、どこへ飛び立てばいいのか、どうやって飛び立てばいいのか、わからない。飛び立つきっかけが目の前に現われないでもないが、むやみに冒険はしない。彼らなりに、なんとなく自分たちの立ち位置を受け入れながら暮らしている。そんな彼らの日々は、あまりに時代とリンクしていなさすぎて、どこかユーモラスにさえ映る。

「通りを元気に走り回る子どもたちもいなければ、曲がりくねった裏山の路地裏を逃げ回る犯罪者を追いかける武装した警官の姿も、この映画には登場しません。時代に取り残された主人公たちの物語ですから、胸が高まるような物語ではありません(笑)。静かに物語は流れていきます。時間も、どことなくのんびりと過ぎていきます。というより、彼らの時間は、流れてもいないのかもしれません」

主人公たちが時代に取り残されている様子は、彼らの部屋に掲げられているポスター(1984年の合衆国産映画「ストレンジャー・ザ・ン・パラダイス」や、70年代末から80年代に活動したイギリスのパンクバンド、クラッシュ)、彼らが好んで聞く音楽にも表われている。

「映画の音楽は作曲家ウィウソン・スコルスキーのオリジナルですが、クラッシュをイメージしています。本当は『ストレート・トゥ・ヘル』を使いたかったんですが権利の関係で叶わなかったので、この曲をイメージした曲をウィウソンに作曲してもらいました」

そして、劇中に忍ばせた「ストレンジャー・ザ・ン・パラダイス」のポスターは、同映画へのオマージュでもある。

「現実とはちょっと浮いたところにいる連中の物語であることや、物語をモノクロで描いている点など、ジム・ジャームッシュには影響を受けていますからね」

映画の原題は「Cores(色)」。しかし、映画はモノクロ映画だ。確かにモノクロだからこそ、主人公たちの現実から“浮いた”世界観がより浮かび上がってくる。

「彼らの生活に何が一番足りないのかといえば、まさにそれが“色”です。また、この映画はサンパウロという街を描いた映画でもありますが、サンパウロの色は何色かと言われれば、灰色だと思うからです。サンパウロは自分が生まれ育った好きな街ではありますが、その色は、白でもなく黒でもなく灰色。霧の街だし、サンバよりも、アンダーグラウンドなロックンロールの街です」

クラッシュが好きな主人公ルカは、刺青師でもあり、サンパウロのロックな連中のたまり場ガレリア・ド・ホッキにたむろしていそうな風体だ。しかし、そんな一見アグレッシヴな外見とは裏腹に、生き方も行動も、ロックとはかけ離れている。

「アグレッシヴでありたいと思いながらもそうは生きられない。何をやってもうまくいかない。どうしてお前はそんななんだ、と思えるくらい見た目とギャップがあります(笑)」

サンバもボサノヴァもカーニバルも出てこない、色もついていないブラジル映画「聖者の午後」。ここで描かれている世界はニュースで伝え聞くブラジルの姿は思いっきり遠い世界のような物語だが、実はこれがサンパウロのリアルな現実のひとつだったりもするのだろう。

(写真・文/麻生雅人)
「聖者の午後」(http://www.action-peli.com/cores/)は渋谷ユーロスペースにて公開中