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ブラジルのモダニズム建築完成後14年間も封印された「サンフランシスコ・ヂ・アシス教会」

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教会として開館することができなくなってしまったニーマイヤーのこの建物ですが、「建物を現代美術館として使ってはどうか」という司教の提案を受けて、1947年12月2日に行われるベロオリゾンチ市50周年祭に合わせて現代美術館として開館する話もでたそうです。しかし当時ベロオリゾンチ市長だったGumercindo Couto e Silva グメルシンド・コウト・イ・シウヴァ(市長職は1946年のみ)は、これも認可しなかったそうです。

1947年12月1日、サンフランシスコ・ヂ・アシス教会は国立歴史遺産研究所(IPHAN)に遺産として登録されたことから、教会のネガティヴな考えも少しづつ変わりはじめました。あのカブラウ司教でさえも理解を示し始めるようになり、勉強会も開催されたそうです。さらには1948年に「エスタード・ド・ミナス」紙が放置されているパンプーリャ湖建築群のことを報じて問題提起をして、ベロオリゾンチ市は、建築群の建物を個別に見直すことにしたそうです。

しかし、教皇庁は最終的には認可はしませんでした。元市長のクビシェッキもカブラウ司教に「こんなに愛情を込めて作った建造物がこんなに大変な目に合うことは想像もしていなかった」と手紙を出して交渉したが教皇庁の考えを動かすには至らなかったそうです。

ところが1956年、教会の運命が変わる出来事が起きます。

パンプーリャ湖建築群の計画主だったジュセリーノ・キビシェッキがブラジルの大統領に就任したのです。加えて、1958年にローマ法王となったヨハネ23世が、ポルチナーリが作った祭壇に続く聖なる道に大いなる興味を示しました。

当時の市長 Celso Melo de Azevedo セウソ・メロ・ヂ・アゼヴェード(1957~59)は市議会に法案を提出して、サンフランシスコ・ヂ・アシス教会と隣接地を教皇庁に寄贈しました。

かくて、1943年に完成して以来14年間、使われることのなかったサンフランシスコ・ヂ・アシス教会で、1959年4月11日に教皇庁によるミサが開催され、正式に教会と認められることになりました。

ミサには大統領ジュセリーノ・クビシェッキ、ミナスジェライス州知事José Francisco Bias Fortes ジョゼー・フランシスコ・ビアス・フォルチス(1956-61)、ベロオリゾンチ市長Amintas Ferreira de Barrosアミンタス・フェヘイラ・ヂ・アシス(1959-63)も開館式に参列しました。

Dom João Resende da Costa ドン・ジョアン・ヘゼンジ・ダ・コスタの宣言の後、クビシェッキの親族Lincoln Kubitschek Neto リンコン・クビシェッキ・ネトが洗礼を受け、ベロオリゾンチ市の第一回ブラジル先住民族フェスティバルの参加したオルケストラ・ボロローの演奏も披露されました。

住所: Avenida Otacílio Negrão de Lima, 3000
電話: 31 3427-1644
開館時間: 火~土 8時~17時、日 9時~14時

参考:
http://www.belohorizonte.mg.gov.br/
http://www.museuvirtualbrasil.com.br/museu_pampulha/modules/news3/article.php?storyid=14
http://cpdoc.fgv.br/producao/dossies/JK/artigos/Brasilia/BeloHorizonte

(文/麻生雅人、写真/Rosino)

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