サンバと私

2014年 11月 28日

工藤めぐみ

初めまして、サンバダンサーの工藤めぐみです。サンバについてのコラムを連載するにあたって、まずは軽く自己紹介をしますね。

9歳でサンバを始め、10年間日本のサンバチームでサンバレッスンを積み重ねた私は、19歳で初海外、初一人暮らしの状況で単身、サンバ・カーニバルの本場リオデジャネイロに旅立ちました。

そこから数年続けて日本とブラジルを往復し、リオのカーニバルのスペシャルチーム「サウゲイロ」に所属して、2009年のカーニバルではチーム優勝に貢献させていただきました。パシスタ(1チーム4000~5000人中の30人の花形ダンサー)として現地で活動しています。

日本では、神戸のサンバチーム「Feijão Preto(フェジョン・プレット)」で本場のサンバを広める為に、小さな子供から大人までにサンバを教えています。神戸とリオデジャネイロは姉妹都市なので、何か使命を感じていたりして!

19歳から始まったブラジルと日本の往復生活ですが、今年2014年は、3月にリオから帰国しました。帰国してみたら、日本は早くもサンバシーズンに突入していました。

帰国の翌々日にフェジョン・プレットのチーム合宿があり、そこから神戸まつり、サンバフェスタのために、がむしゃらに練習にレッスン、イベントをこなしてきました。

おかげで今年、2014年のサンバフェスタでも無事に最優秀賞、6連覇も出来て一安心。

そして日本のサンバシーズンが落ちついてきたと思ったら…落ち着く暇もなく、ブラジル、リオでのパシスタ修行シーズンに突入です。

近年の私の人生はほぼこのサイクルなので(笑)、あっという間に日々が過ぎて行きます。

さて、私がサンバのダンサーとして活動しているリオデジャネイロには、大きいものから小さいものまで、合わせて100以上のサンバチームがあります。その上位12チームがスペシャルチームと呼ばれ、1チームに約4000人~5000人が所属しています。

私が所属するサウゲイロ(2014年のカーニバルでは準優勝しました!)では、その中の女の子、約30人がパシスタと呼ばれる花形ダンサーとしてカーニバルに出場することができます。

私が毎年チャレンジするパシスタと言う限られた枠は、毎年、毎年オーディションがあり、人がどんどん変わっていきます。

カーニバルに出場できるかどうかが決まるのは、本番1週間前。本番の衣装をもらうまでは、パシスタとして出場できるかどうかはわからないのです。

ですからカーニバルが終わると翌年のオーディションまで、みんな必死です。リオでの私のサンバ修行も、毎回一筋縄ではいきません。リオでの数カ月は、1カ月が1年くらいに長く、濃く感じるぐらい、それぐらい毎日気合いを入れて、チャレンジしています。

サウゲイロに居て3年目くらいまでは、良くも悪くも日本人として目立っていたかもしれません。ただその先、4年目ぐらいから毎年、毎年、前年度以上の努力を重ねていかないと生き残れない世界なので、全力でやってきました。

そう。「継続すること」はとっても大変です。リオに住んでいるわけではない日本人だから、余計に大変です(次回へつづく)。

(写真・文/工藤めぐみ)

著者紹介

工藤めぐみ Megumi Kudo

工藤めぐみ Megumi Kudo
9歳よりクラシックバレエを基礎にサンバを始める。
2008年にリオデジャネイロの名門エスコーラ・ジ・サンバ「サウゲイロ」のパシスタのオーディションに合格。
2009年~2011年、2013年~2014年に同団体のパシスタとして、リオのカーニバルに出場している。「サウゲイロ」の選抜メンバーによるサンバショーのメンバーでも、唯一の日本人として参加している。
帰国中は、プロフェッショナルのダンサー(SMAPドームツアー、山下智久コンサートのサンババックダンサーなど)や、ダンスインストラクターとして活躍。神戸にてダンス教室「MEGUサンバダンス」を主催するほか、地元のサンバチーム「Feijão Preto(フェジョン・プレット)」のダンサーリーダーも務める。神戸まつり、浅草サンバカーニバルをはじめ全国のサンバ関連イベントでも活躍。

「Feijão Preto(フェジョン・プレット)」http://www.feijaopreto.net/

「MEGUサンバダンス」http://www.feijaopreto.net/sambadance.htm
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