Entrevista:Antonio Loureiro アントニオ・ロウレイロ

2014年 12月 1日

アントニオ・ロウレイロ

2013年、初来日を果たして全国ツアーを行ったアントニオ・ロウレイロが2014年秋、日本での演奏を収めたアルバム「イン・トーキョー」(NRT/quiet border)を発表した。

アントニオ・ロウレイロはサンパウロの出身だが、その後ミナスジェライス州ベロオリゾンチ市にも拠点を置いていたピアノ奏者、打楽器奏者、シンガーソングライター。セッションや数々のプロジェクトでも活動しながら、自身の音楽を追求してソロ作品も発表している。

日本では、アルタード・ステイツなどの活動でも知られる芳垣安洋(dr)、LITTLE CREATURESでもお馴染みの鈴木正人(b)、アコーディオン奏者の佐藤芳明を迎えてのバンド編成でツアーを行ったが、日本の音楽家と演奏した経験も、とても刺激的だったようだ。

「日本の音楽家は、聴いた音楽を吸収してしまう能力が高いと思います。また、音楽に向き合う真摯な姿勢にも敬服します。今回、日本で演奏するにあたって、候補曲をいくつか先に送っていたのですが、実際に初めて会って演奏してみたら、彼らは曲をほぼ完全に吸収していました。何度も何度も聴いてくれたのでしょう。僕が即興で演奏している部分、楽譜にない部分も、何度も聴いて理解してくれていましたから、初対面出会ったにもかかわらず、即興の部分で新しいことが起こったとしても、皆で、その場で音楽を創り上げることができたのです」

また、日本に来て見て、この国が自身の音楽を受け入れてくれる背景のひとつには、長い歴史の中で育まれた豊かな文化が大事にされている点があるのではないかと思ったという。

「ブラジルには多様で複雑な歴史を背景に育まれた文化があり、ブラジルの音楽、僕の音楽にも、それは反映されています。日本もまた、長く培われてきた伝統的な文化が無意識かもしれませんが、とても大切にされていると感じました。だからこそ、ブラジル音楽の中にある文化の豊潤さを感じ取って楽しんでもらえるのかもしれませんね」

ブラジルは、その土地が辿って来た歴史との関わりの中で、先住民族文化、アフリカ文化、ヨーロッパ文化など、地方ごとに地元に伝わる音楽がそれぞれ異なり、多種多様な国だ。ブラジルの音楽家の多くは、脈々と受け継がれてきた伝統的な音楽のスタイルを継承しながら、個々が独自の視点や発想でそれを表現することで、新しい音楽を生みだし続けている。

アントニオ・ロウレイロもまた、そんなブラジルらしく、伝統を継承しながら心の赴くままに革新的な表現を試みる音楽家のひとりだ。

「影響を受けた音楽は、現代の音楽ならエルメート・パスコアウ、ジョアン・ボスコ、チズンバ、ジョン・ケージ、伝統音楽ならマラカトゥ、タンボール・ヂ・クリオーラ、ミナスの打楽器音楽など挙げ始めたらきりがありません。若いころはイエスやジェネシスなど、イギリスのプログレッシヴロックをずいぶん聞きました。楽器はいろんな楽器に興味を持って、演奏しました。フィル・コリンズのドラムも好きです」

ミナスジェライス州の音楽に深く興味を持ち始めて熱心に聞くようになったのは、ミナスジェライス連邦大学に入ってからのことだという。

「10代の半ばごろまで、接点はほとんどなかったんです。もちろん、どんな人がいたか名前くらいは知っていましたけれど」

トニーニョ・オルタ、ミウトン・ナシメントなど地元の音楽家と共に演奏をする機会を得たアントニオは、多くのミナスジェライスの音楽家たちがイギリスのプログレッシヴ・ロックに影響を受けていることに気がついたという。

「ミナスジェライス州の音楽は、他にもさまざまな音楽とつながりがあります。ビートルズ、アルゼンチンの伝統音楽...。中でもプログレッシヴ・ロックの影響は強いと思いますね。その一方で、ミナスジェライス州には独特の黒人文化もあります」

実は音楽家としては打楽器奏者、ドラマーとしてキャリアをスタートさせているアントニオは、マルチ楽器奏者という側面も持つ。そんな経歴も、表現の自由度も高い音楽を生み出す要因になっているようだ。

「大学では現代的なパーカッションを先攻しました。2000年代初頭はベロオリゾンチで、ビル・ルーカス率いるバントゥケレーのプロジェクトに2年近く参加して、サンバを演奏しました」

北東部マラニョン州の伝統芸能ブンバ・メウ・ボイがモチーフになった「ボイ」(セカンド・アルバム「ソー」二収録)という曲では、ピアノのボディを手で叩いてこの祭りに伝わる特徴あるリズムを繰り出している姿も印象的だった。

「マラニョン州のタンボール・ヂ・クリオーラとブンバ・メウ・ボイは長年、とくに情熱を持っています。ファースト・アルバムの『アントニオ・ロウレイロ』(2010年)にも参加しているダニエラ・ハモス、彼女はベロオリゾンチで活躍する優秀な打楽器奏者の一人で、毎年、ペルナンブッコ州やマラニョン州を訪れて地元のリズムを研究しています。僕は彼女が主宰するタンボール・ヂ・クリオーラのグループにも参加して、多くのことを学びました」

「ボイ」は、ミナスのシンガーソングライター、マケリー・カとの曲作曲だ。

「これは”ボイ”についての曲だから、それに合う歌詞を書いて欲しいとマケリーに曲を送ったんです。この曲はマラニョン州サンルイス市で長年活動しているメストリ・ウンベルト・ジ・マラカナンにも大きな影響を受けています」

打楽器奏者でもあるアントニオは、こと黒人文化に対しては多大なる敬意を抱いているようだ。ファーストアルバムの「コレイラ」では、サンパウロで活躍するサンバ歌手ファビアーナ・コッツァをヴォーカルに迎えてアフロ・ブラジル文化と対峙した。

「彼女は神がかった素晴らしい歌声を持っている。背景にはカンドンブレーの文化があるんでしょうね。黒人文化のタンボール・ジ・クリオーラのリズムを土台にした曲だったから、カンドンブレーとは使う太鼓も異なりますが、その奥底にある神がかった力には共通するものがあると思いました。少なくともこの曲を歌うには、アフロ・ブラジル文化を背景に持った人の強い歌声が必要だったんです」

現在は打楽器ではなくピアノをメインに演奏しているようだが、自身にとっては、ピアノはまだまだ発展途上段階だという。しかし、その決して饒舌ではない演奏には打楽器奏者ならではの味も出ていて、ますますアントニオ・ロウレイロの音楽の個性を引き立てているようにみえる。

「打楽器と比べると、始めたばかりと言っても過言ではないですからね。頭の中で作曲した曲をピアノを通じて音で表現している、という感じです。打楽器と同じくらいピアノを操りたいとは思いますが、まだまだです。おそらくピアノの演奏には、僕にとって大きな影響を与えているふたつの”自由”な音楽、現代音楽の自由さと、ジャズの自由さだと思います」

何ものにもとらわれない自由なスタイルで、心の赴くままに音楽を紡いでいく。それがアントニオ・ロウレイロの音楽のスタイルだ。

「僕が求めているのは、ひとことでいえば、ピュアな音楽。ただそれだけです」

(文/麻生雅人、写真/三田村亮)
写真は2013年の日本公演。一番左がアントニオ・ロウレイロ。アルバム「イン・トーキョー」(NRT/quiet border)発売中。https://soundcloud.com/nrt-maritmo/sets/antonio-loureiro-in-tokyoで数曲試聴可能。詳細はhttp://www.nrt.jp/antonio_loureiro/release_information_33.htmlまで