2016年 02月 16日 12:41
1500年にポルトガル人がブラジルを「発見」した時、ポルト・ジ・ガリーニャスには、インディオのカエテス族(トゥピ族の一派)が棲んでいました。ポルト・ジ・ガリーニャスはペルナンブーコのインディオの最後の集落があった場所と言われています。
16~17世紀にかけて、この地域でとれる「ブラジルの木(パウ・ブラジル)」を輸出していたことから、ポルト・ジ・ガリーニャスは当初はポルト・ヒッコ(Porto Rico=豊かな港)と呼ばれていました。ブラジルの木は、赤い染料の採れる堅い木で、布を赤く染める染料に使われたり、楽器の素材として使われました。
19世紀においては、ポルト・ヒッコはアフリカから運ばれてくる奴隷の入港地としての重要性を増してきます。彼らは、当時のブラジルの主力産業であった砂糖製造のための労働力としてアフリカから運ばれてきたのです。1888年に奴隷の売買は廃止されていたため、奴隷の売買は闇取引となり、価格は吊り上げられました。
通説によると、密輸入業者達はホロホロチョウの籠の下に商品である奴隷を隠して奴隷を密輸入したと言われています。密輸業者達は、奴隷を乗せた船が港に到着すると「新しいめんどりが入港したぞ!」という符牒を使って奴隷の闇取引を行っていたのです。ちなみにホロホロチョウ(galinhas d’angola)は、当時のペルナンブーコ貴族が好んで食べたと言います(次ページへつづく)。
(写真・文/唐木真吾)
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