【コラム】私のポルトガル語勉強法
2018年 08月 20日今回はポルトガル語のお話をしようと思う。
わたしは以前、リオのサンタテレーザ地区の友達のブラジル人家族の家に2ヶ月ほど住んでいた。
当時はポルトガル語が全く話せず、数字すら言うことができなかった。家族の団欒の夕食時も、ほぼ、こけしのように座っているだけで、家族を笑わせるために必死で覚えたポルトガル語の小ネタを、繰り返し披露しているだけだった。週末のホームパーティはもっとひどいこけし状態で、たまに少し作り笑いをするぐらいしかできなかった。
旦那さんが少し英語を話せたが、日中は働いているのでわたしの面倒はみられない。奥さんの弟さんとたまに出かけていたのだが、パソコンの翻訳も限界があった。
付き添ってくれる彼らが興味のないところへはお供をお願いできなかったし、家があったのはそんなに治安のいい場所ではなかったため、一人ではほとんど外出もできなかった。
英語ができれば世界を渡り歩けるという、それまでわたしが持っていた概念はここで見事に崩れ落ち、うえを見上げても、どこまであるかわからないほどの高い言葉の壁にぶつかってしまった。
また来るであろうブラジルで不便な思いをするのはイヤだったし、リオでのステイ中は、時間を持て余していたので、パソコンでポルトガル語の勉強を少しづつ始めた。…のだが、動詞の活用の多さに目眩がしたうえに、リオのもわんとした湿気っぽく高く重い気温のせいもあって、勉強はほとんど進まなかった。
帰国後、独学では全くポルトガル語が上達しないと悟り、思い切って大学の夜のコースに通うことを決めた。
大学のコースでは文法を一から学んだ。宿題、中間テスト、期末テストもあり、なかなかハードだったが、先生もよい先生だったし友達もできた。どれくらいマスターできたかわからないが2年間、4つのコースに通いポルトガル語の文法を一通り勉強した。
新しい言語を一から学ぶことは、とても孤独で地道な過程だった。しかし、ブラジルで自由に一人で行動したり、現地の人と直に会話をして交流することを夢見ながら、動詞の活用を紙にひたすら書き続けて覚える努力をした。
大学での勉強のあとはブラジル音楽のパーティでブラジル人と話すようにした。都内のポルトガル語サロンにも通った。
ブラジルに住んでいる友達とチャットもするようになった。
チャットは書く作業なのでたまに活用表を見ながら会話をつづけることができる。とにかく毎日チャットし続けることで、曖昧だった動詞の活用もなんとなく体に染み付いてきた。ひたすら繰り返しの練習をした。
ブラジルは時差が12時間あるため、日中を避けて朝と夜に友達とのチャットが可能なのはありがたかった。
動詞の活用が大変なうえにブラジル人は日本人には難しい接続法(文法の種類の一つでまだ起こってないことや仮定に使う。現在、過去、未来の活用がありほかにも数種類の時制がある)を多用してくる。微妙な表現や言い回しも、チャットでの対話の実践により、少しは体に染み付いてきた。難しくない言葉は息を吐くように書くことができるようになってきた。
最近はボイスメッセージがよく来るが、これを聞き取るのはまだ正直、とても難しいが、これも続けるうちに慣れてくると思う。
チャットにしてもボイスメッセージにしても、繰り返すことで表現や聞き取りにも慣れていくと実感している。
そして今は、歌ううえで必須となるポルトガル語の発音の勉強をしている。
歌がしっかり届くように、心に響くように。
以前、友達のブラジル人が「ブラジル・ポルトガル語を学ぶことは、ブラジルの文化を学ぶことだよ」言った。それまでは言語は単にコミュニケーションツールだと思っていたのだが、ポルトガル語を勉強したことによって、理解できた文化もたくさんある。
ステージの上ではいつも一人ぼっちだし、全て自分で話さなくてはならない。ステージに上がるまでの交渉も、全て自分でやらなくてはならない。そうした経験を重ねるうちに理解できるようになった文化もたくさんある。
ポルトガル語を勉強しても(当たり前だけれど)ブラジルとの物理的な距離は変わらないが、とても近くなったことはたくさんある。
言葉がわかるようになったことで学んださまざまなことについては、また、いずれ。
(写真・文/Viviane Yoshimi)
写真上から、サンタテレーザ地区、ホームステイ先の家族と(左からルシアナ、ジュリア、アンドレ)、友人のトニーニョ