日伯投資家対談 カルロス・ペッソア・フィリョ(インベスト・テック)×中山充(BVC) Part 1
2018年 10月 6日ブラジル・ベンチャー・キャピタルのインタビューシリーズ。
今回はブラジルのベンチャーキャピタル、インベスト・テックのマネージングディレクター、カルロス・ペッソア・フィリョ氏と、ブラジル・ベンチャー・キャピタル代表 中山充の対談形式でブラジルのスタートアップ・エコシステムについてお互いの意見を交換します。
90年代の終わりブラジルにおいてスタートアップのエコシステムがどのように成長してきたのか、その後、ブラジルにおける起業家の意識やベンチャーに対する投資の意識に関して、この20年に起こった変化についてそれぞれの見解を話します。
数多くのブラジルのスタートアップを見てきている投資家側の視点からブラジルのスタートアップ・エコシステムの発展過程と今後の展望についての一つの視座となれば幸いです(カルロス・ペッソア・フィリョ氏の経歴は人物データベースを参照)。
<「アントレプレナーシップ」という言葉を辞書に載せる>
中山:まずはじめにブラジルのスタートアップ・エコシステムがどのように発展してきたのか、特に「エンデバー」はブラジルではかなり以前から活動していますがそのあたりも含めて教えて下さい。
カルロス:2000年の初め、「エンデバー」は、起業を始める人の手助けをし、エンパワーするためにブラジルに来たたばかりのNPO団体で、私は学生ながらにブラジルでの創設メンバーに参加することができました。
当時、アントレプレナーシップという言葉はブラジルの辞書には全く載っていませんでした。私たちが常に自分たちに問いかけていたのは「どうやったら辞書にも全くでてこないアントレプレナーシップという概念をブラジルの中で推し進めていくことができるのだろう」ということでした。
「エンデバー」の一つのわかりやすい成果は、アントレプレーナーシップという言葉をブラジルのオフィシャルな言葉にしたことです。この「エンデバー」を象徴するキーワードを辞書に載せるよう、「アウレリオ」というポルトガル語新辞典の編集者を訪ね、数ヶ月後かけて「アントレプレナーシップ」を辞書に掲載させることができました。
その当時、ブラジルでは起業家は一般に実業家(empresarios)と呼ばれていました。実業家というのはネガティブな印象すら持たれかねない言葉でした。
ハイパーインフレの記憶が残る80年代−90年代で、多くの労働者は日々のインフレの高さに苦しんでいる中、実業家は可能な限り、手持ち資金の価値が目減りしないようにオーバーナイトと呼ばれる金融投資を行っていました。
そのオーバーナイトで得られる利子は最高に高く、そのため企業が利益を得るための実業を持つ必要がない時代でした。彼ら企業は金融市場に投資することなく、かなりの額の収益を得られたのです。
こうした状況が、実業家たちが”ずるいことを行って利益を得る人たち”だという一般のイメージを助長させることとなったのです。
ブラジルの軍政時代(1964-1985)の間は、ブラジルは国内産業を守るために国内産業で生産されない製品のみ輸入を許可していたのです。また、消費者は国内で生産されたパソコンしか手にすることができず、そのため、質が悪く、時代遅れで、高額な機械に頼らざるを得なかったのです。
民政後初の大統領が選ばれた1990年に、ブラジルのマーケットは解放され始めました。2年後になって、国内の通信情報分野の国内産業の成長を活性化するために軍政の情報処理市場保護政策が終わると、競争が始まり再びこの分野がより健全で公正なものとなりました。
1994年に、レアル・プランがハイパーインフレを抑止するために作られました。
そして1998年、ついに、「テレブラス(Telebrás)」システムが民営化されました。
それ以前、電話の回線が繋がっていることは非常に重要で、電話回線の費用は高額だったこともあり、有効な電話回線を持っていることを所得税の申告書に記入しなければならなかったのです。
もしこうした情報アクセスに関する民主化が行われていなかったらどうなっていたのか、想像してみてください。当時は80万の電話回線がありました。しかし現在、国内で2億の携帯電話が使われているのです。
また、民営化により「テレフォニカ」や「アメリカモビル」、「ポルトガルテレコム」など海外から通信大手が参入できる環境が産み出されました。
経済が解放され、インフレがコントロールできるようになったと同時に起こった通信の民主化は、新規の起業家、そして何より有能な起業家にとって大きなビジネスチャンスを与えました。それこそがブラジルにインターネットがもたらしたものなのです。
2000年代の初めは初のテクノロジーのスタートアップが出現し始め、有力な起業家たちを生み出した特別な時代となりました。ブラジルではまだベンチャー・キャピタルへのファンド提供のチャンスが少なかったにも関わらず、現在活躍している何人もの起業家たちが成功する一歩をその時代に踏み出したのです。
しかし、当時のベンチャー・キャピタル・ファンドの多くは、大企業相手に多額の金額を投資するプライベート・エクイティー・ファンドのようなメンタリティーで、マイノリティー出資ながら企業のコントロールを高いレベルで行うため、契約含むメカニズムは侵略的で支配的なものでした。
<エンデバーとの出会い>
中山:軍政から民主化への移行と、インフレとレアルプランという大きなマクロ経済イベントがブラジルの経済の至るところに影響しているのは業種を問いませんが、ITのベースとなる通信業界も例外ではなかったんですね。しかもこれらの動きがたった25年程度という、比較的最近の話だということは日本と大きく違うところですね。
それでは、次にカルロスさんご自身がどういう経緯でスタートアップ・エコシステムに携わることになったのかを教えてもらえますか?
カルロス:1997年に伝統のあるサンパウロのジェトゥリオ・ヴァルガス財団(FGV)の企業経営コースを履修しました。私の同級生やその家族の多くは、コンサルタントや銀行、大企業でのキャリアを積む事を切望していました。ただ、他の同級生と違って大企業でキャリアを進んでいくところにあまり魅力を感じていませんでした。
そんななか、私は在学中の1999年に「ブラステンプ(Brastemp)」や「コンスル(Consul)」などのブランドを有する「ムルティブラス(Multibrás)」というブラジルの家電大手で、企業の将来を考えるためのイノベーション部門、というテーマが面白そうだと思い、インターンをし、当時としては高い報酬を受けていました。
また、当時はまだ「エンデバー」のことをまだ知らなかったのですが、インターンと並行して、私は学部のビジネス・プラン・コンテストに参加しました。実際の企業がかかえている問題に対する解決策を競うものでした。
私たちのグループはFGV内でのコンペで優勝し、世界大会のブラジル代表となることが決まりました。大学側が私たちグループをサポートするよう指定したメンターは、前年度の学内でのコンペに優勝したヨコオ・マコト氏で、彼は「エンデバー」で働き始めたところでした。
彼のおかげで、私は起業・アントレプレナーシップやそのエコシステムについて始めて知ることとなり、この分野に関わることとなりました。こうして「ムルティブラス」の研修をやめることを決めた時、母はとても心配そうな顔をしていたのを覚えています。
(part 2は10月8日掲載予定です)
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(文/中山充、写真下提供/ブラジルベンチャーキャピタル、写真上/reprodução)
写真上はグローボ社発行の経済情報雑誌「ペケーナス・エンプレーザス・イ・グランヂス・ネゴーシオス」2018年4月発売号。スタートアップ企業100社のランキングが掲載された。
写真下の左がカルロス・ペッソア・フィリョ氏、右が中山充氏