日伯投資家対談 カルロス・ペッソア・フィリョ(インベスト・テック)×中山充(BVC) Part 2

2018年 10月 14日

ワイラ・ブラジル

インベスト・テックのマネージングディレクター、カルロス・ペッソア・フィリョ氏と、ブラジル・ベンチャー・キャピタル代表 中山充の対談形式でブラジルのスタートアップ・エコシステムについて互いの意見を交換する日伯投資家対談。

第二章では、起業がブラジルのキャリアパスでどうとらえられているか、また、ブラジルのエンデバーやアクセラレータなどの参画でエコシステムがどう進化してきたかを語ります。

<起業というキャリアパスの捉えられ方>

中山:日本でも20年前は大企業や公務員としてキャリアを積むことを多くの人が「ベストな選択」と考えられていました。

しかし、私が起業した2000年頃と比べると、日本でも最近ようやく起業という選択肢が一般化しつつあります。日本でも大企業が倒産したり、成功する起業家が増えてきてロールモデルと考えやすい人が増えてきていることが影響していると考えています。

ただ、私がブラジルでは起業をすることの意味合いや受け取られ方は、まだ日本と大きな違いがあると感じています。

私が2012年に「ベイン&カンパニー」のコンサルタントとしてブラジルに来た時は、同僚が同社でコンサルタント業務に何年も身を置く人生計画を築いていることに気がつき驚きました。ベインという会社に勤める人はブラジルでも比較的リベラルな人ですし、ベインは企業文化の中に起業精神を十分に持っている会社なので。

しかも、1998年に私が日本の「ベイン&カンパニー」に勤め始めた時は、自分のビジネスを始めるために誰が先に独立するのか皆が競い合っているような感覚すらあったので、14年前の日本よりも保守的なのか、と。

ただ、当時はブラジルに来たばかりで、点でしか見えていなかったのですが、数年ブラジルに身を置くにつれ、ブラジルのアントレプレナーシップが進化してきていると感じています。

逆に私が来る以前の2000年頃に比べると、それでも2012年の状況は良くなっていたのかもしれません。

「エンデバー」では具体的にはどのような施策をおこなったのか、詳しく教えて頂けますか?

カルロス:実は「エンデバー」がブラジルで活動を始めたころに驚かされたのは、自らが起業していたり、起業家やスタートアップを相手に仕事をしている人々の数が、かなりの数に及んでいることでした。ベインに行くような人とはちょっと層が違っていたかもしれません。

こうした当時のエコシステムに強く求められていたのは、起業家として、もしくは経営者としての、トレーニングでした。「エンデバー」はそのような人材を集めて、全体のレベルアップを図るための取り組みを始めました。

2000年に私たちが最初に行ったイベントはジャングル・トレーニングと呼ばれたもので、当時のエコシステムに風穴をあけるものでした。それは、起業のブートキャンプのようなもので、ビジネスプランをデザインしなおすというものでした。

「99 Taxi」(2018年にユニコーンとしてエグジット)の共同創業者であるパウロ・ベラス(Paulo Veras)は、このジャングル・トレーニングで「エンデバー」を知りました。そして同時期に、私たちは起業家に向けた年次の無料のワークショップや講演会も行いました。このようなプログラムはその後8年間続きました。

さらに、数十のブラジル人起業家の実際の経験や教訓から「不確かな国でどのようにして起業をうまく軌道に乗せるのか」というタイトルの本の出版も行いました。

そしてその後、「VOCÊ S/A」という雑誌と共同で、ブラジルのアントレプレナー賞(「Prêmio Empreendedores do Novo Brasil」)を作りました。

ブラジル スタートアップ

私たちは、起業が一つの正当なキャリアの選択肢であるとブラジルの人々が思えるようになって欲しかったのです。この分野を十分に理解し評価してもらうために、大企業に勤めていたビジネスマンのマインドセットを変えることを目標と置いていました。

こうした活動の結果、2000年から2011年の間「エンデバー」の中で、ブラジル支部が世界ベストなオペレーションを行ったとみなされてきました。

そして「エンデバー」の創設者は、ブラジルの優れた手法を世界の他の地域広げるために新しい組織の立ち上げる計画をしはじめます。

私は「エンデバー」がブラジルに進出した当初から関わっていたこともあり、その新組織のメンバーにアサインされました。

私はニューヨークに移住し、その後もヨルダンやエジプト、トルコ、南アフリカやインドなど多くの地域に「エンデバー」の支部を創るサポートをしました。

ブラジル以外の新興国における起業家たちのチャレンジは、私たちがブラジルで経験したものと非常に似通っていたのです。私は7年間「エンデバー」で働きましたが、特にこの新組織での最後の数年は非常にチャレンジングなものとなりましたし、信じられないくらい素晴らしい経験でもあります。

中山:それだけ数多くの国々で支部を立ち上げ、現地の起業家と一緒に活動するというのは非常に魅力的な経験ですね。日本でも最近「エンデバー」が立ち上がりましたが、やはり国を問わず共通した部分はあると思うので、今後ますます日本のエコシステムが進化していくことに貢献してくれそうですね。

その後あなたはブラジル初のアクセラレーターとして「ワイラ・ブラジル」を立ち上げるわけですが、その経緯についてお話いただけますか?

<ブラジルでのアクセラレーター「ワイラ(Wayra)」の立上げを通じて>

カルロス:2011年に多くアクセラレーターが出現しました。

アクセラレーターはその以前から知られているインキュベーターとは異なり、よりアグレッシブな目標を持ち、スタートアップのビジネスが速く成長するのを助けるために、資本も提供し、メンターシップを提供します。メンターがスタートアップの実践に参加することにより、より短期間で有意義な結果が出るのです。

また、同じ時期に既に存在していたスタートアップが通信業界の重要な事業領域で大きく成長していました。

スペインの通信大手「テレフォニカ」は、その業界でも成功している巨大企業ですが、それでも企業内の人材とは違う視点を持ち、デジタル時代への移行を助けるイノベーションのエコシステムに関する見識を持った外部の人材を必要としていました。

結構な長い期間、電話会社にとって主要な収入は、電話帳の中に出された広告の広告料や固定電話の通信料、SMSや3Gの通信料、国際電話の料金などでした。

しかし、インターネットという新たな存在によって、一夜にしてこの種のビジネスの脅威となったわけです。10年経ち、もはや誰も電話帳を必要としなくなり、”ググる”ようになりました。いまの若い人からしたら国際電話なんてなんのことかわからないでしょう。Whatsappやスカイプがあるわけですから。

こうして「テレフォニカ」から「ワイラ(Wayra)」が生まれました。「ワイラ」はアクセラレートを行う「テレフォニカ」の新事業で、ブラジルでもゼロから事業を立ち上げるために私が呼ばれることになりました。ブラジル初の企業が提供するアクセラレーション・プログラムとして「ワイラ・ブラジル」が誕生することになったのです。

中山:「ワイラ」に続くかのようにその後もたくさんのアクセラレーターが立ち上がりましたよね。

特に2013年、2014年にブラジル政府が行った「スタートアップ・ブラジル」というプログラムの影響は大きいと思います。

アクセラレーターに選ばれたスタートアップに、アクセラレーターの投資額と同額を政府が助成金として見返りなく提供するというのは効果的なプログラムだったと思います。

アクセラレーターからすると出資比率を維持したまま投資金額がいきなり倍になるわけですし、プログラムに参加しているアクセラレーターであれば起業家側も安心して出資を受けられるという面があるわけで、特に乱立ともいえる状態でたくさんのアクセラレーターが出てきて、どこも実績がない中では有効な施策だったかと思います。

また、本当に立ち上げ期に資金提供とメンターシップを受けられるというのは起業をするハードルが大きく下がることになったと思います。

カルロス・アンドレ・フィーリョ

<ブラジルでのスタートアップ・エコシステムの登場から現在までの変遷>

中山:こうした「エンデバー」やアクセラレーターなどが新たに参画することでブラジルのスタートアップ・エコシステムは大きく変わってきたと思います。

その中でエコシステムがこの20年でどのように変わってきたと感じていますか? 特に投資家サイドからみてベンチャー投資に対する市場の立ち上がり方の変遷を教えて下さい。

カルロス:この20年弱の間に本当に多くの変化があったと思います。

90年代終わりのデジタル分野の初期のブラジル人起業家たちは、起業をするために、企業の中で得ていた安定したポジションを手放さなければならなかったのです。

しかし、その頃はすべての起業家が独自のビジネスを興す事に関して野心的な視点を持っていたわけではなく、当時マーケットの中で巻き起こっていたチャンスに気がつく視点を持っていたわけでもありません。

スタートアップを買収する企業も多く存在しなかった頃であり、同時に小規模の企業が新株式公開(IPO)をするための余裕も資本市場の中にありませんでした。

起業家たちはビジネスの成長サイクルについて考えておらず、関心事は日々のオペレーションのためにお金を回すこと、つまり、生き残るという難題の中で、限られた投資家を探さなければいけなかったのです。

また、当時起業は、人生をかけたビジネスでした。私は、そのように企業を考えることは、起業家にとって重要なものだと思います。

責任を負うことは起業家が持つべき基本的な性質です。将来会社を売ることがよりよい選択肢となるのであったとしても、売却を考えながらベンチャーを興して成功することなどできないと思います。

ところが、この20年で、起業をするためのハードル、特に起業に必要な資金が世界的に大幅に下がったと思いますし、ブラジルも例外ではありません。

また、ベンチャーへの資金供給源はブラジルでも大きく発展しました。

より多くのエンジェル投資家が現れましたし、シリーズAで投資するベンチャー・キャピタルも多く出現しました。最近はシード段階のスタートアップにフォーカスしたファンドも出てきています。

以前は、運よく起業するための資金を調達できた人だけがスタートアップを始められましたが、いまでは良いアイデアと実行力があればスタートアップを始めることができる環境になったのです。

一方で、ブラジルのベンチャー・キャピタル市場は、アメリカやヨーロッパなど成熟した他国のマーケットに比べてまだ競争が多くはありません。

それは、ベンチャー企業の競争にも言えることですし、投資のチャンスにも同じく言えることです。この国の法律はまだ、エンジェル投資家をそんなにサポートしてくれませんしね。言い換えるとまだまだ伸びていく余地があると考えています。

(文/中山充、写真上/Divulgação、写真中/Reprodução、写真下提供/ブラジルベンチャーキャピタル)
写真上は「ワイラ・ブラジル」のオフィス。写真中は雑誌「Pequenas Empresas Grandes Negócios」。写真下の左がカルロス・ペッソア・フィリョ氏、右が中山充氏

著者紹介

中山充 Mitsuru Nakayama

中山充  Mitsuru Nakayama
ブラジル・ベンチャー・キャピタル代表。ブラジル・サンパウロ市在住の起業家、投資家、戦略コンサルタント。

早稲田大学卒業後、スペインIEビジネススクールのMBAを取得。

ベイン&カンパニー東京支社・サンパウロ支社に戦略コンサルティングとして10年以上勤務し、日本および海外企業のブラジル進出プロジェクトに携わるなかで豊富なスタートアップと事業開拓の経験を積む。

2014年に独立し、ブラジルのスタートアップへ投資を行うブラジル・ベンチャー・キャピタルを設立。投資先企業とともに営業活動に同行し、成長戦略の検討や方向性の整理、次フェーズの資金調達のための資本政策の策定を行うなど、投資先のチームの一員として事業の成長の支援を行う。
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