【コラム】日系人がブラジルで読んだマンガとは~ブラジルにおける日本マンガ受容史
2018年 11月 19日この雑誌のヒットのおかげで瀬戸編集長は色々と新しいタイトルを企画・発行するようになり、そのため沢山のマンガ原稿が必要となって、私も新米マンガ家として友達の楠本ロベルトと共にこの会社でデビューすることになったのだ。
ブラジルでは他にマンガを出版している会社はなかったので、既にイラストレーターとして活躍していた画家たちもマンガを描くようになり、その結果グラフィパル社は様々な雑誌の発行元として成長していく。
1984年9月「マンガの神様」手塚治虫先生が来伯したが、この時手塚先生の展示会、講演会や特別授業にも参加した。帰国する前、先生は子供のような私の手を握りながら「マンガのファンの集まりはどこにでもあるがこれをどの様に成長させるかは貴方の責任です」と言われたが、誠にありがたい言葉であった。ブラジル漫画家協会が今まで続いているのも手塚先生のおかげといってよいだろう。
ブラジルで一番人気のある子供向けマンガ「モニカ」の作者マウリシオ・デ・ソウザは今でも「モニカ」を書き続けてい
るが、彼の奥様は「モニカ」のアートディレクターであり日系人だ。
マウリシオのスタジオには日系人のマンガ家も多く、作風にも明らかに日本のマンガの影響が見られる。2008年、日本ブラジル移住 100周年記念の年に「モニカ・ジョーヴェン」(青年モニカ)と言う新しいタイトルを出版したが、これは本当に日本のマンガに近い作品だ。子供であったモニカやその友達がになったマンガだが、その発行部数はロングセラー「モニカ」を上回るほどの 50 万部に達したのだった。
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(写真・文/佐藤フランシスコ紀行)
1984年9月、サンパウロ美術館を訪ねた故・手塚治虫さん