1976年にアルゼンチンで失踪したテノーリオJr.の遺体の存在、約50年ぶりに特定される
2025年 09月 15日
政治的死者と失踪者に関する特別委員会(CEMDP)は、今週土曜日(9月13日)、ブラジル人ピアニスト、フランシスコ・テノーリオ・セルケイラの死に関する約50年にわたる謎が解明されたと発表した。彼は1976年3月18日、ブエノスアイレス中心部のノルマンディ・ホテルを出た後に失踪していた。
当時、テノーリオはヴィニシウス・ジ・モライス&トッキーニョとともに南米ツアーに参加していた。アルゼンチン法医学人類学チーム(EAAF)の情報によると、彼は銃撃によって殺害され、身元不明のまま首都郊外の共同墓地に埋葬されていたという。
委員会によると、識別はダチロスコピア、つまり人間の指紋の照合によって行われた。テノーリオは3月18日未明、ホテルを出た後に殺害されており、それはアルゼンチンでマリア・エステラ・マルティネス・デ・ペロン大統領が失脚し、軍事独裁政権が樹立される数日前のことであった。
識別が可能となったのは、アルゼンチンの「人道に対する犯罪検察局」による調査の成果による。1975年から1983年の間、ブエノスアイレスでは公共の場で発見された複数の遺体に関する司法手続きが開始されたが、被害者の身元が特定されないまま記録が保管されていた。今回の調査は、これらの遺体が国家による暴力によって殺害・失踪した人物と関連している可能性を探ることを目的としていた。
「このようにして、アルゼンチン法医学人類学チーム(EAAF)の調査と、ブエノスアイレス連邦控訴裁判所の命令に基づき、フランシスコ・テノーリオ・セルケイラ・ジュニオールの死と遺体の所在が確認されました。これは、1976年3月20日にブエノスアイレス近郊のティグレ地区の空き地で、銃撃によって死亡した男性の遺体の指紋を照合した結果によるものです。なお、アルゼンチン首都にあるベナビデス墓地から遺体を掘り起こし、遺伝子サンプルとの照合を行えるかどうかは、現時点では不明です」とCEMDPは声明で述べている。
委員会はさらに、今回のケースだけでなく、いわゆる「コンドル作戦」に関連する他の事例についても継続的に追跡していると述べた。「コンドル作戦」とは、1970年代にアルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、パラグアイ、ウルグアイに成立した軍事独裁政権による連携体制であり、これらの政権は、武装か非武装かを問わず、反体制的な政治活動家を監視・拉致・拷問・殺害・失踪させるために協力していた。
CEMDPの手続きは、他国で行方不明となったブラジル人政治的失踪者の指紋データの収集、およびその家族の血液サンプルの採取を含んでおり、それらを失踪が発生した国の当局と共有・交換することで、「今回のような発見を可能にすること」を目的としている。
CEMDPはまた、アルゼンチン法医学人類学チーム(EAAF)から通知を受けた後、速やかに音楽家の家族に連絡を取り、状況を伝えたことを明らかにした。さらに、「この過程において、家族に必要な支援を全面的に提供する用意があること、そしてラテンアメリカにおける国家による政治的暴力の犠牲者であるブラジル人芸術家フランシスコ・テノーリオ・セルケイラ・ジュニオールの遺骨の所在を突き止めるための努力と調査に協力する姿勢であること」も伝えた。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)