ブラジルの「国果」に指定されたアサイーが、ハワイで有名な理由とは
2026年 02月 3日

今年1月7日に制定された連邦法でブラジルの国果に指定されたアサイー。このニュースは、1月28日(水)にブラジル農牧研究公社(EMBRAPA)が「アサイー、国果に認定:国家的象徴の強化と産業革新を促す新法」と題したニュースを配信したことがきっかけで、改めて同法の認識が広がりつつある。
ルイス・イナーシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ・ブラジル連邦共和国大統領が署名をした連邦法15.330号の第1条では「アサイー(アサイー椰子 Euterpe oleracea の果実)およびクプアス(クプアスの木 Theobroma grandiflorum の果実)は、国果として指定する」と定めている。
この法律は、アサイーと同じくアマゾン地域を原産とするフルーツ、クプアスを国果と指定した、2008年5月19日付の法律第11.675号第1条を改正したものだ。
ブラジル国内でアサイーが国果に定められ、「国家シンボル」という象徴的・文化的な位置づけが与えられた背景には、世界中でアサイーが注目され消費量も拡大する中で、改めて今、アサイーが、アマゾン地域を中心にブラジル固有の食文化として育った産物であることを宣言する狙いがあるようだ。
ブラジル地理統計院(IBGE)によると、2022年のアサイーの輸出量は 48.61 トン、輸出額は 19.1 万米ドルとなっている。
パラー州経済社会研究財団(FAPESPA)が毎年公表している「アサイー年報」では、主要産地であるパラー州からのアサイーの輸出に関するデータが公表されている。同年報によると、2010年の輸出量はごく少量だったが、2015年には輸出額が約200万米ドル(主な輸出先はアメリカ合衆国、オランダ、日本)、2020年には約500万米ドル(パンデミック期でありながら増加していることが指摘されている)、現時点で最新のデータとなる2022年には約900万米ドルとなっている。
今では世界各地でスーパーフードやヘルシーフードという概念とともにアサイーは消費され、その勢いは年々増しているが、もともとはポルトガル人がこの地に上陸するずっと以前からアマゾン川流域の先住民が食していた果実だ。以来アサイーは、パラー州などアマゾン川の支流の川沿いの地域で生活する人々にとって、貴重な栄養源の一つであり続けている。
現地では貴重な食糧、栄養源として、魚やエビ、肉など塩味の食事に添えて常温で味付けをしていない搾ったままのアサイーが、伝統的に食されている。
近年ブラジルでも、どうしてこのブラジル北部の郷土食が、姿かたちを変えてリオデジャネイロなど南東部の都市部や、さらにはハワイを含むアメリカ合衆国、地球の反対側にある日本にまで届き、ブームにまでなっているのかを検証する動きが出てきている。
筆者がパラー州のアサイーの産地の一つで、アグロフォレストリーによる栽培が行われているトメアスーや、州都ベレンなどで耳にした多数の話によると、アサイーが南東部の都市部やハワイに広めたのは、グレイシー柔術の柔術家たちとサーファーたちのようだ。
アサイーの故郷パラー州を拠点とするグレイシー一家が、地元の人々にとって土地に根差したエネルギー供給源であるアサイーやガラナ(同じくアマゾン地域で先住民が食していた果実)を食事に取り入れ、グレイシー一家が国内各地に道場を開設していく中でアサイーが国中に広まったというのは、ブラジルでは有名な話だ。
グラノーラやバナナを添えたアサイーボウルが広く流通し始めたのは1990年代に入ってからだと言われている。
リオデジャネイロ連邦大学(UFRJ)国立博物館の民族植物学研究室に所属するイヴォニ・マンザリ・ジ・サー博士が2011年から2012年にかけて、ハワイ大学と共同で、アサイーが辿った道筋を追う調査を行っている。
オズワルド・クルス財団(Fiocruz)の歴史・文化・科学コミュニケーションを専門とする研究・教育機関であるオズワルド・クルス記念館で健康科学史の博士号を取得しているイヴォニ氏の調査を、オズワルド・クルス財団が公表している。
イヴォニ氏は、パラー州ではアサイーは、労働のための活力と持久力を与える“ヘイモーゾ”と呼ばれる性質を持つ唯一の果実とされており、100グラムあたり247キロカロリーと高エネルギーの食品であると指摘している。
パラー州出身の柔術家グレイシー一家は、体力の回復にも絶大な効果を発揮するアサイーの効能をよく理解しており、体格の細かったカルロス・グレイシーに、トレーニングや試合の前に、ガラナと混ぜたアサイーボウルを食べさせていたという。
そして、グレイシー一家がリオデジャネイロに伝えたアサイーの“グレイシー流レシピ”は、カルロスの兄弟を通じてサーファーのコミュニティに広まる。ガラナを混ぜたアサイーは、1980〜90年代のライフスタイルにマッチして、サーフィン文化の波に乗ってカリフォルニアやハワイへと広がっていったとイヴォニ氏は指摘する。
ハワイに根付き、発展したアサイーボウルは日本でも知られるようになり、2013年から2014年にかけて日本でもブームを巻き起こしている。特に日本では、ハワイのアサイーボウル経由でアサイーを知ることになった人が多かったからか、アサイーがハワイの食べ物だというイメージを抱く人も少なくないようだ。
イヴォニ氏はまた、ブラジル国内で全国的にアサイーが普及したきっかけは、国内最大のグローボ放送網の人気連続青春ドラマ「マリャサォン」と指摘する。健康志向の登場人物たちがスポーツジムでアサイーのスムージーを好んでいたことが、国内の流行に火をつけたという。
「農村ではアサイーは労働のための“糧”を与える食料ですが、都市部ではスポーツやレジャーのためのエネルギー源として消費されています。この消費パターンの変化がアサイーの“地位”を変え、米国をはじめとする他の文化圏にも受け入れられる要因になったのです」とイヴォニ氏は語る。
同氏はアメリカ合衆国でのブームについても追跡している。米国でのブーム(加えて米国に端を発した世界でのブーム)の立役者は米国のトーク番組史上最高の番組とも言われるる「オプラ・ウィンフリー・ショー」の司会者オプラ・ウィンフリーだという。2005年に、ウィンフリーの皮膚科医であるペリコーネ医師が、番組内で優れた抗酸化作用や心血管の健康を促進する効果、良質な脂肪分を持つアサイーを“果物のトップ”と紹介したところ、翌年にはアサイー市場は800%の成長を記録したという。
日本にアサイーが本格的に上陸したのは2000年代初旬のこと。パラー州トメアスーの農業組合CAMTA(カンタ)から冷凍パルプで直輸入されたアサイーは、2002年に兵庫県、2004年に東京・大手町のジューススタンドで販売されはじめた。この事業を行ったのが現在のフルッタフルッタだ。
もちろんこの時点では日本でもアサイーは知る人ぞ知る存在ではあったが、米国のブームに先んじて、生産者たちと直接連携した形で上陸していたことは記録しておくべきことだと思う。トメアスーでアグロフォレストリー(森林農法)でアサイーを栽培し、パルプに加工して流通させているのは日系ブラジル人である。日本とブラジルとの長きにわたる交流が、アサイーを日本に届けてくれたといえる。
イヴォニ氏は、米国では多様な製品やブランドが次々と生まれて商業化されている一方で、ブラジルは依然としてアサイーの原料の輸出にとどまっているとも指摘して、巨大な市場から、ブラジルがより大きな利益を得るためには何が必要なのか、という疑問を投げかけている。
(文/麻生雅人)



