ブラジルのW杯対戦相手、ハイチ。 危機の中で希望を掲げる
2026年 06月 17日
カリブ海の小国ハイチは、ブラジリア時間19日(金)21時30分(日本時間20日(土)9時30分)、米国フィラデルフィアで行われるFIFAワールドカップ・グループCのブラジル戦に臨む。
ハイチ代表は、FIFAの要請により反植民地闘争を象徴する要素を外した新ユニフォームで試合に挑むことになる。ピッチ外では、ブラジルとハイチの関係はサッカーを超え、文化交流、人道的支援、連帯の取り組みにまで及んでいる。
FIFAランキングでは両国は対照的な位置にあり、ブラジルが6位に位置する一方、ハイチは最下位にいる。“レ・グレナディエ(グレネード(手榴弾)を扱う兵士)”という愛称を持つハイチ代表は、1974年以来50年ぶりのワールドカップ出場を果たした。2010年の大地震をはじめとする自然災害に加え、深刻な政治・人道危機が続く中での歴史的快挙である。
予選を勝ち抜いた道のりに誇りを持つグレナディエたちは、かつて手榴弾を扱った兵士を指すその名の通り、団結と祝福の象徴としてサッカーの力を信じている。
「笑顔でいられるのは、前向きな気持ちを保つ必要があるからです。僕たちはこのレベルで戦えると信じています」と、MFジャン=リクネル・ベルガルドは、先週土曜日(13日)のスコットランド戦後、FIFAのインタビューで語った。ハイチ代表は試合を支配し、ボール保持率47%を記録したものの、0対1で敗れた。
ピッチ上でも、ブラジル対ハイチの一戦は“平和の文化”を象徴するサッカーの力を祝う場となる。長年にわたり、ハイチはブラジル代表が最も多くのファンを獲得してきた国の一つであり、ワールドカップのたびに街や家々が緑と黄色に彩られてきた。
最も象徴的な場面の一つは2004年。ルイス・イナーシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領の招きで、ブラジルはロナウドやロナウジーニョらスター選手をポルトープランス(ハイチの首都)での親善試合に送り込んだ。「平和の試合(Jogo da Paz)」と名付けられたこの試合は、激しい武力衝突が続いた同国で、武装解除キャンペーンの開始を象徴するものだった。ブラジルが主導していた国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)と現地住民との間に絆を築く狙いもあった。
当時ブラジル代表を率いていたカルロス・アルベルト・パレイラ監督(当時)は、試合前、代表チームの車列がスタジアムへ向かう途中の光景を振り返る。「道の両側に人が押し寄せていた。非常に貧しい地域、まさにスラム街だったが、みんな笑顔で手を振っていた」と語った。
「彼らは選手全員を知っていて、ロナウド、ロナウジーニョと名前を呼び続けていた。あの瞬間、あの数時間だけは、国全体が戦争を忘れていた」と、1994年にブラジルを世界王者へ導いた名将は回想した。
そして今回のW杯で歴史的な本大会出場を果たしたハイチは、20年以上前の「平和の試合」を経て、今度は自国の英雄たちに声援を送る立場となった。
その中心にいるのが、代表通算80試合以上で44得点を挙げているエースストライカー、ダッケンス・ナゾンだ。昨年末、ナゾンはFIFAの取材に対し、「ハイチの人々は喜びと幸せを受け取るに値する。それが自分が代表に全力を注ぐ理由だ」と語っている。ヨーロッパ生まれのナゾンは、他のハイチ代表選手と同様、予選突破に大きく貢献し、1試合で3得点を挙げる活躍も見せた。
<ハイチの情勢>
ハイチの安定は、独立以来、現地エリートを通じて影響力を行使してきた外国勢力の利害と相容れず、むしろ不安定化の要因となってきた――。ハイチ革命を研究する歴史学者ガブリエウ・レッカス氏はそう指摘する。同国は現在、米国の支援を受けるアリックス・ディディエ・フィス=エメ首相の下で統治されているが、首都の一部は武装政治勢力が支配している。
リオデジャネイロ州立大学(UERJ)の歴史学修士レッカス氏は、こうした状況は大国が自らの経済的利益に基づいて小国に押しつける“新たな植民地主義”の表れだと付け加える。
奴隷として連れてこられた人々が主導した革命の末、ハイチは1804年に独立を勝ち取った。しかしこの歴史は今日に至るまで“不都合な記憶”とされ、FIFAはハイチ代表のユニフォームに描かれた革命の象徴を使用禁止とし、差し替えを求めた。
「冬季五輪でIOCが、そして今回FIFAが画像の削除を求めたのは、長年続いてきたハイチ革命の“沈黙化”と結びついている」と歴史家は説明する。
レッカス氏は、こうした扱いは他国には見られず、差別的だと指摘する。
「誰の歴史が記憶され、誰の歴史が記憶されないのか――その線引きが明確に示されている」と語り、米国代表のユニフォームに描かれた独立の象徴である赤と白のストライプが認められている一方で、ハイチの象徴は禁じられた点を指摘した。
同氏によれば、黒人が主導した革命は、今なお、国内外の支配的な経済勢力にとって脅威であり、人種的ヒエラルキーへの問いかけでもある。
「19世紀、奴隷制を支えていたエリート層は、ハイチ革命がアメリカ大陸の他地域に広がることを恐れていた」とレッカス氏は振り返る。「20世紀、21世紀になると、ハイチはアフリカ系ディアスポラの抵抗と反骨の象徴となり、それが既存の人種構造を維持したい勢力を刺激している」。
ブラジルとハイチは、2004年の「平和の試合」以来、代表同士の対戦はないものの、2010年の大地震を機に新たな連帯関係を築いてきた。地震では20万人が犠牲となり、うちブラジルの平和維持部隊の兵士18人も命を落とした。さらに150万人が家を失った。
震災後、ブラジル司法・治安省はハイチ人の入国を緩和した。2015年から2024年の間に、ブラジルは175カ国から難民申請を受けており、キューバ人、ベネズエラ人に続き、ハイチ人が最も多い。
連帯の一環として、ブラジルはハイチ国家警察の育成支援も行っている。これは、物議を醸した国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)撤収後の重要施策の一つだ。ブラジルが国連部隊を率いていた当時、同ミッションでは人権侵害、性的暴行、コレラ流行などの問題が報告されていた。最初の司令官を務めたのはアウグスト・エレーノ将軍だった。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)




