コロンビアで航空機墜落事故追悼 すべてのシャペコエンセの選手・チーム関係者へ

2016年 11月 29日

コロンビア航空機墜落事故

11月28日午後10時ごろ(日本時間29日午前)ブラジルサッカーリーグ1部、シャペコエンセの選手・チーム関係者を乗せた飛行機が、コロンビア上空で墜落した。

乗客には日本のJリーグでプレーした選手が何人も含まれていた。

シャペコエンセは、ブラジル南部サンタカタリーナ州のシャペコをホームタウンとするチームだ。

筆者のブラジル在住時期には3部もしくは4部に属していたと記憶するが、2013年に2部へ、そして2014年から1部で戦っており、今季は残り1節を残し20チーム中9位となかなかの成績を収めている。そして、今回の事故は、南米におけるトーナメント戦であるコパ・スウ・アメリカーナの決勝を戦うためにコロンビアへ向かう途中でのことだった。

コパ・スウ・アメリカーナは、南米ではリベルタドーレス杯に次ぐ大会で、ヨーロッパにおけるUEFAチャンピオンズリーグに次ぐUEFAヨーロッパリーグのような大会だ。優勝チームは翌年に、日本のルヴァンカップ(旧ナビスコカップ)優勝チームと、スルガ銀行カップという試合を行っている。

シャペコエンセの選手たちは、そんな国際大会初制覇に向けて臨んだところだったのだ。

1部に昇格して3年目ということで、所属選手も名前の知れた選手が揃っていた。

まずは、何といっても、クレーベル・サンタナだ。

私の応援するサントスで2006~2007年に主力として活躍していた選手だ。2006、2007年とサントスはサンパウロ州選手権を連覇しているが、この人の活躍がなければタイトルは取れなかっただろう。日本では、2005年に柏レイソルでプレーしているので、その勇姿を目に焼き付けている人も多いと思う。

そして、ケンペスだ。2011年にアメリカミネイロで大活躍し、2012年にはセレッソ大阪、2013~2014年にはジェフ千葉でエースストライカーとして活躍していた。編みこんだ髪の毛をなびかせ躍動する姿が印象深い。

そのほかにも、川崎フロンターレで2015年にプレーしたアルトゥール・マイア、コンサドーレ札幌でプレーしたハファエウ・バストス、2010年に京都サンガでプレーしたチアゴ、そして2015年にアビスパ福岡でプレーしたモイゼスといったように、日本に馴染みのある選手も多数所属していた。

そして、監督はなんと、カイオ・ジュニオールだった。

ブラジルの名門パウメイラスなどを指揮し、ブラジルでは珍しい理論派でまだ51歳。これからのブラジルを背負って立ってくれるだろうと期待していた逸材である。カイオ・ジュニオールを失ったことは、本当に痛手だと思う。

日本でも2009年にヴィッセル神戸で監督を務めていたのでなじみ深い人も多いと思う。

今回墜落した飛行機は、ボリビアの航空会社の飛行機とのことだが、ブラジル在住時、7年間に渡って飛行機を日常茶飯事に利用していた者として、衝撃は物凄く大きい。

ブラジル、南米では、選手の移動手段で、日本以上に飛行機を使う機会が多い。私も、何度か、ブラジルのサッカーチームと同じ飛行機に乗り合わせたこともあるし、空港でサッカーチームを見かけることもよくある。

ブラジルで飛行機に乗っていたときには特に危険を感じたことはなかったが、私が在住していた7年間だけでも、ブラジル国内ではいくつかの飛行機事故は起こっている。また、飛行機ではないが、自動車やバイクの交通事故は、日本とは比べ物にならないほどに多く、当時毎日通勤で車を利用していた私は、無事に一日を終えられるたびにホッとしながら過ごしていたものだった。

飛行機に限らず、このような交通事故が、今後起こらないことを切に願いたい。

亡くなったシャペコエンセの選手・監督・チーム関係者の方々には、心よりお悔やみ申し上げたい。

(文/コウトク、写真/Cr Wilson Pardo/‏@Policiantioqui)
写真は11月29日、探索が続いていた事故現場。同日、ブラジリア時間で夜7時に探索終了が発表された。「グローボ・エスポルチ」は死者71名、生存6名と伝えている

著者紹介

コウトク

2005年6月~2012年6月まで仕事の関係で、ブラジルに在住。ブラジル在住当時は、サッカー観戦に興じる。サントス戦については、生観戦、TV観戦問わずほぼ全試合を見ていた。
2007年5月のサンパウロ選手権と2010年8月のブラジル杯のサントス優勝の瞬間をスタジアムで体感。また、2011年6月のリベルタドーレス杯制覇時は、スタジアム近くのBarで、大勢のサンチスタと共にTV観戦し、優勝の喜びを味わった。

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