リオ市のホベルト・ブルレ・マルクス園、ユネスコ世界遺産リストに登録される
2021年 08月 19日
7月16日(金)~7月31日(土)にかけて、世界遺産の登録などを協議する国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第44回世界遺産委員会がオンラインで開催された。
協議により、計34件(文化遺産29件、自然遺産5件、複合遺産該当なし)が新たに世界遺産リストへ登録され、1件が抹消された。
ブラジルからは、「ホベルト・ブルレ・マルクス園」(リオデジャネイロ市)が文化遺産に選ばれ、ブラジルで世界遺産のリストに登録された23番目の遺産となった。現地メディア「アジェンシア・ブラジル」が伝えている。
本委員会は、もともとは2020年6月29日(月)から7月9日(木)に中国・福建省福州市で開催される予定だったが、新型コロナウィルス感染症のパンデミックにより中止され、本年にオンラインで開催されたもの。議長国は中華人民共和国が務めた。
日本からは「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が自然遺産、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が文化遺産に選ばれた。
文化遺産に登録された「ホベルト・ブルレ・マルクス園」(リオ市西部バーハ・ヂ・グアラチーバ)では、40万7000㎡の敷地の中に、3500種以上の熱帯および亜熱帯植物がコレクションされ、保全されている。
同園を設計したホベルト・ブルレ・マルクスは、ブラジルを代表する建築家・景観デザイナー・造形美術家。
波をモチーフにしたモザイクの石畳で知られるリオ市コパカバーナ海岸のサイドウォークもブルレ・マルクスの手によるものだ。
ブラジリア官庁街・外務省庁舎の庭園設計など、オスカー・ニーマイヤーとの共同プロジェクトでも知られる。2016年に文化遺産(カテゴリー:文化的景観)に選ばれた「パンプーリャの近代建築群」でも、カジノ(パンプーリャ美術館)やカーザ・ド・バイリ、パンプーリャ教会の庭園造成を手掛けた(建築はオスカー・ニーマイヤー)。
「ホベルト・ブルレ・マルクス園」を現在管理する国立歴史美術遺産院(IPHAN)のクラウジオ・ストリーノ監督官は、同園の最大の魅力は、植物から芸術作品まですべての要素が織り成す景観にあり、強烈な個性を放っていると語った。
隣接するペドラ・ブランカ州立公園によって保護されているマングローブ群落、川岸に自生する樹林、大西洋岸森林などで形成されていたこの地で、ブルレ・マルクスが関与するのは1949年以降のこと。
同園が作られる前、サント・アントニオ・ダ・ビッカ農園と呼ばれていたこの場所は、18世紀からある古い農家や、1681年に作られたという聖アントニオを祀る礼拝堂が建っていた。土地の最も高い場所にある水源から湧き出る水は、道路近くにある噴出口から地元の人々に供給されていたという。当時の農家の建物や礼拝堂もブルレ・マルクスの手で修復され、園内に移築されている。
ブラジル各地で収集した庭園植物のコレクションを自然の中で育てることが出来る場所を探していたブルレ・マルクスは、兄弟のギリェルミ・シエギフリエッヂと共にこの農園を、1949年から1960年にかけて徐々に買い取っていった。
大西洋岸森林の原生林も残り、むき出しの岩肌、豊かな水源、多様性な植物が共存できる多様性を受け入れられる土壌、といった条件を満たすこの土地に、ブルレ・マルクスはアトリエなど7つの建造物、庭園、植物保育エリア、6つの人工湖を作り、石造りの建築群と熱帯の自然が共存する、壮大なランドスケープの実験の場でもあった。
ブルレ・マルクスが蒐集した歴史的な、または自身が制作した、さまざまなオブジェも、景観の中に溶け込んでいる。
1985年、ブルレ・マルクスは、実験の持続、収集した知識を社会と共有するために、この敷地を連邦政府に寄贈した。ブルレ・マルクスの没後、1994年以降は同園は国立歴史美術遺産院(IPHAN)によって管理されている。