ファヴェーラの中からファヴェーラの変革に挑戦する“抵抗のファッション”
2025年 12月 27日

ドキュメンタリー映画『ファヴェーラはファッション』は、リオデジャネイロ市北部ジャカレージーニョのファヴェーラに拠点を置くファッション・エージェンシー「ジャカレー・モーダ」が、ブラジルのファッション業界の既存の美的基準の“外側”にある“身体”を武器に、ファッション市場に参入する挑戦の軌跡を捉えた作品である。
ファンキ・カリオカと結びついたダンス文化パッシーニョのダンスバトルを掘り下げた『パッシーニョのバトル』(2012)、周縁地域のバーバーショップ文化を描いた『イカした髪型に決めてくれ』(2016)といったドキュメンタリー映画で、ファヴェーラや社会の周縁の若者たちの文化における、“身体”を使った自己表現を文化人類学的に捉えてきたエミリオ・ホベルト・ジ・ソウザ・ドミンゴス監督の作品だ。
同映画はドミンゴス監督がフルミネンシ連邦大学 芸術・社会コミュニケーション研究所における文化とテリトリアリティ(領域性)大学院過程の修士論文『ファヴェーラはモードだ:周縁的モデル実践の文化人類学的研究』のために「ジャカレー・モーダ」の活動を、2015年~2019年の4年に渡ってフィールドワーク調査した中で、論文と並行して制作された作品でもある。
映画で紹介されるファッション・エージェンシー「ジャカレー・モーダ」は、創設者ジュリオ―・セーザルが生まれ育った、リオ市で最大規模のファヴェーラの一つ、ジャカレジーニョを拠点としている。犯罪組織の拠点があることから、組織と警察との銃撃戦が日常的であることでも知られる地域だ。
そんなジャカレジーニョをはじめ、近隣のファヴェーラ、周縁地域で生活する若者たちの中からモデルを発掘し、育て、“抵抗のファッション”を標榜して、白人で痩せ型のモデルが圧倒的多数を占めるこの国のファッション業界に彼らを送り込んでいる。
「ジャカレー・モーダ」の原型が生まれたのは2002年。白人層が中心となった生活圏であるリオ市南部のコパカバーナで中~上流階級の人々が暮らすマンションのドアマンとして働いていたとき、ジュリオ・セーザルは住民が捨てたファッション雑誌を見て、黒人のモデルが存在していないことに明代意識を抱き始めたのがすべての始まりだった。
当初はモデルエージェンシーではなく、地元ジャカレージーニョで暮らす若い女の子たちの意識向上を願ってはじめたファッション・コンテストを行っていた。「ジャカレーだってモードだ」と名付けられた組織でジュリオはモデルの養成講座も行っていたが、2014年までは、携帯はアマチュア団体で、コンテストで受賞したモデルは、既存のモデルエージェンシーに送り込むことを目的としていた。
2013年、共同経営者となるヘナン・クヴァチェッキ、クラリーザ・ホーザ、ルカス・ホドリゲス
の参加を得た「ジャカレー・タンベン・エ・モーダ(ジャカレーだってモードだ)」は、2014年に開催した大規模なコンテストの後、自らがモデルの育成も粉う企業形態のプロダクションへと姿を変えていく。
翌2015年、ジュリオ・セーザルは大きな転機を迎え、その名を国中に知らしめた。
ジャカレジーニョを訪問した建築家のマルセロ・ホーザンバウン、画家のホメロ・ブリットが、現地で知り合ったジュリオ・セーザルを、知人であり有名なテレビ司会者ルシアーノ・フッキに紹介したことがきっかけとなった。
フッキは、ブラジル全国区で圧倒的な視聴率を誇る大手グローボ局の自身の番組「カウデイラォン・フッキ」にジュリオを招いた。
同番組内の中小企業支援コンクール企画「マンダンド・ベン」にエントリーしたジュリオは同コンクールに選出され、本拠となるスタジオ施設の建設や家具一式を装備するための賞金3万レアルをはじめ、ファッション誌「ヴォーグ」ブラジルのイベント参加権、ニューヨークファッションウィーク参加権、滞在費などが贈られた。
これを機に「ジャカレー・エ・モーダ(ジャカレーはモードだ)」改め「ジャカレー・モーダ」と新装したエージェンシーが本格的に始動、番組でも披露された。ここから先の活動は、映画「ファヴェーラはモーダ」で描かれている通りだ。
「ジャカレー・モーダ」のモデルたちも「エル」や「ヴォーグ」に取り上げられ、大手ブランドのキャンペーンでも活躍するようになっていった。映画のラストシーンで、ジャカレジーニョの路上でキャットウォークを披露するハケウ・フェリックスはDressToなどのブランドで活躍している。
TVグローボへの出演のエピソードは、もしジュリオの人生をドラマチックに語りたいのであれば欠かせないエピソードだが、エミリオ・ホベルト・ジ・ソウザ・ドミンゴスはこの話題を映画の中では取り上げていない。あくまで「ジャカレー・モーダ」の活動の理念や意思を描くことに専念している。
ドミンゴス監督が描くように、「ジャカレー・モーダ」は単なるファッションエージェンシーではない。ファッションモデルの発掘と育成のための実技のみならず、ファヴェーラで生きる者としてのアイデンティティの確立、意識向上も、明確に重点が置いている。
映画でも、学校ではいじめられ「自分は醜いと思いこんでいた」という少女や、やはり差別や暴力の応酬にさらされて生きてきたゲイの黒人が、「ジャカレー・モーダ」の活動に参加することで自身の個性を誇れるようになったことを語るシーンがある。
しかしジュリオは、彼らが自己肯定を取り戻すことだけで終わらせようとはしない。被害者意識を捨てて、差別や貧困、社会からの疎外感を「強いられている」現状に抵抗する意思を持ち、自分たちの手で世界を変えていくことができるのだ、ということを説く。
麻薬犯罪の巣窟のように思われているジャカレジーニョの本当の姿を世に伝えることも、ジュリオの夢のひとつだ。ファヴェーラで生活している多くは、善良な人々、“普通の”人々だ。麻薬組織と警察との日常的な抗争の巻き添えを食い犠牲となる人も後を絶たない。
今年の10月にも、映画に登場するモデルの一人の出身地でもあるペーニャおよびアレマォン複合地区のファヴェーラで、麻薬組織を壊滅させることを目的に実施された警察の大規模行動「オペラサォン・コンテンサォン(封じ込め作戦)」は、121名と、過去15年間で最大かつ最も多くの死者を出しただけでなく、警察の拷問で命を落とした住民もいたと疑われている。
「私はギャングと警察に提言をしています。400人のギャングと200人の警察部隊が4万人以上の住民の平和を脅かしてはならない、と」
実際にジュリオは、「ジャカレー・モーダ」のビデオ撮影を行うために、ギャングと警察の両者の幹部と掛け合い、1週間休戦させた。待っていても政府も何もしてくれないのなら、ファッショを通じて、自らの手でジャカレジーニョを変えていきたい、変えていくことができる、と説く。そして「ジャカレー・モーダ」の活動を、“抵抗のファッション”と呼ぶ。
その後、ブラジル中小・零細企業支援機関(SEBRAE)や大手ファッションブランドの支援を受け、エージェンシーは活動を拡大させていった。
「ジャカレー・モーダ」は拠点もジャカレジーニョを出て、サンクリストヴァン地区に作られたファッション企業家支援施設MALHAに入居した。しかし、「ジャカレジーニョの現地からジャカレジーニョを変えていく」ことを夢見るジュリオは、次第に「ジャカレー・モーダ」の活動から遠のくようになっていった。
2018年、「ジャカレー・モーダ」は事実上の解散となり、その活動は共同経営者の3名により、新組織「シウヴァ・プロドゥトゥーラ」が引き継いでいる。一方のジュリオ・セーザルはジャカレジーニョのとどまり、新組織「JCRÉファシリテイター」を立ち上げ、“抵抗のファッション”の活動を続けている。
映画「ファヴェーラはファッション」は「ブラジル映画祭+」にて日本初公開される。
「ブラジル映画祭+|cinebrasil+」
劇場 会場:ヒューマントラストシネマ渋谷
期間:2026年1月9日(金)- 15日(木)
オンライン 動画配信プラットフォーム:Lumière
期間:2026年1月16日(金)- 2月15日(日)
詳細は公式サイト https://cinebrasilplus2026.sea-jp.org/ を参照。
(文/麻生雅人)



