サンパウロ版“ストレンジャー・ザン・パラダイス”映画「聖者の午後」

2014年 04月 12日

cores_main1

経済的にもゆるやかながら成長を続け、ワールドカップ2014の開催を控えて都市開発が進み、街も、人々の意識も、ダイナミックに変わりつつあるブラジル。しかし「聖者の午後」はブラジルの今を描いた映画でありながら、そんな<前進するブラジル>とはまったくリンクしない、3人の若者の物語だ。

一応は中流階級に属する都市生活者の3人組、ルカとルイスとルアラは、歳は30歳前後。仕事も遊びも、何をやっても思うようにいかない。しかし彼らは、どんづまりの閉塞感でがんじがらめになったりもしていない。

納得をしているわけでもないが、もがいてまで他所へ行こうとは思わず、かといって、あきらめてそこにいるわけでもない。歩んではいるけれど、歩みのペースが世間とはズレまくっているだけだ。

そして、さまざまな面で“取り残されてしまった”彼らの生活は、いったいいつの時代の話なのか、どこで起きている話なのか、わからなくなってしまう。現代の大都市サンパウロの生活者であるにもかかわらず、<前進するブラジル>の中では彼らはほとんど異邦人(ストレンジャー)だ。

そんな彼らの生活が淡々と描かれていく中で、異邦人のごとく彼らのズレた感覚は、へんてこな浮遊感を伴っている。そしてどう見てもどんづまっているはずの日々が、とても微笑ましく、おかしく見えてしまう。

政府が発信するアナウンスや日本に伝わるニュースなどで伝えられるブラジルとはなんだか様子が異なるけれど、サンパウロのような大都市では彼らのような存在は、案外、マイノリティどころかむしろ主流派だったりするのかもしれない。世界中のどこにでもいるかもしれない。

自分の居場所はここじゃないんじゃないか?  “ここではないどこか”に行きたいといつも心のどこかで思ってはいる。けれど、本当は自分の居場所はここにしかないってことをちゃんと知っている…。

そんなことを一度でも考えたことがある都市生活者なら、フランシスコ・ガルシア監督の「聖者の午後」は、誰にでも思い当たるフシがあって、クスリと笑いながら登場人物たちをとても愛おしく思える、そんな映画だ。

(文/麻生雅人、写真/ⒸKinoosferaFilmes)
「聖者の午後」(http://www.action-peli.com/cores/)は渋谷ユーロスペースにて公開中