【コラム ブラジルとともに 5】ジャングルを楽園に

2026年 04月 30日
AGB サクランボ
ジャングルと化していた原野を聖地、4年目にはサクランボも食べられるようになった(写真/末吉業幸)

ブラジル村農場を作る原野は、元はパイナップル畑だったが60数年ほったらかしていたことで、すっかりジャングルにもどっていた。ジャングルと化した原野の大木を4年半前から切り倒しはじめ、ワラビ・雑草を刈り、整地にするまで約2年半かかった。4年半経った昨年の12月には山小屋の隣りにある畑の山桜が満開で、サクランボが食べられるようになった。これでなんとか元の里山に戻ったことになる。

今年、26年5月1日は4回目の訪日造成となるが、一番苦しかったのはなんといっても第一回だったね。テントをはる場所から作らなければばらないし、竹林を刈って整地するためにサトウキビ収穫用のカタナを買ったが、これが役立にたず。

メシは七輪コンロで点火剤で炭に火をつけるまで40分かかる、ハラはグーグー、ラーメンとご飯が食べられるようになるまで一時間もかかった。

★★木炭コンロ七輪
はじめて使った七輪コンロ。炭に点火するまで一時間かかることもあった(写真/末吉業幸)

風呂は雨水を500Lタンクに貯め、太陽が真上にあるとき、気温は30℃前後、雲に隠れない前に冷や水で体をあらった。トイレはポータブル、寝床は小さなテント、出入りするたびにしゃがむ。夕食を終え唯一の楽しみは、ポケラジオでNHK放送を聴いているときだったね。

2回目に訪日したころからは作業も軌道に乗りはじめた。

朝6時に起きてトーストパン2枚、卵焼き、みそ汁、パック炊きご飯を食べ、手作りベンチに座り好きなパイプタバコを吸うのが楽しみだった。

7時頃から開墾作業にとりかかり、ノコギリとナタで大木を切り倒す、きつい作業。初めはワラビが生い茂る枯葉の地面にハブが隠れているのでは? とおそるおそる伐採作業をしていたが、一ヵ月過ぎても出てくる気配がなかったので安心して伐採を続けた。

10時頃テントに戻り、ラーメンとご飯で昼飯、一時半まで昼寝。午後は2時から4時半まで伐採作業。夕食を食べ、5時半頃にはテントで眠る。これがジャングルの一日の暮らしだった。

INS  農場坂道
街と農場を結ぶ山道。街から農場へは坂道(写真/末吉業幸)

原野から街までは5km。2000年に作られた県道はアスファルトで舗装されている。街へいくときは下りで疲れないが、食べもの、菓子類の買い物をして山に戻るときは、登り坂道ばかりで疲れたね。

開墾を始めた年は往復を歩いていたので、とにかくシンドイ思いをした。山に約3週間滞在した後、すっかり痩せてアミーゴがオーナーをしているホテルに戻ると、心配したアミーゴに自宅に連れていかれ、奥さんがごついビフテキと手作り料理を何度もご馳走してくれた。

オーナーはブラジルのカンポグランジに農場をもつ元移住者で、年代は一回り上だが、若い時にブラジルで暮らしたことがあるから、話しが合う先輩と後輩という関係になる。

21年9月29日、ジャングルの開墾を始めてから約4年半たったころ、アボカド、ジャボチカバ、レイシを発注。今年26年5月1日に戻ると、4回サンパウロと沖縄を往復したことになる。アボカドは4年目頃から開花すると苗木販売元から言われていたとおり、今年3月に一本が開花したと連絡があった。

アボガドは日本ではビニールハウス栽培がほとんどだが、私は露地栽培をしている。ホテルのオーナーは、露地では育たないのでは? 難しいよとアドバイスしてくれたが、山は元パイナップル畑、しかもワラビの腐葉土と石灰土壌が混ざるフルーツ栽培に向いた土壌であることは幼い頃のパイナップル栽培を手伝った経験からわかっていた。

植物の成長は根づくりで決まるので、苗木が届けられたとき、10号鉢に赤土と腐葉土を3対1に混ぜ苗木を植え、2階建て豪邸に住み市内で唯一庭に湧き水が出る友人に預け、週三回水をかけてもらい、一年苗木の根づくりをしてもらった。

苗木の様子をパソコンのヴィデイオで送ってもらい、成長を綿密に観察していたところ、鉢のまわりに細い繊維状の根がビッシリ張り巡らし、約一年たってリッパな苗木に成長したので、サンパウロから沖縄に戻り、露地に定植させることにした。

4回目の造成でECOFLOW バッテリー、ソラールパネルを購入し、ジャングルからwhatsappの国際無料通話を使ってサンパウロの自宅、輸出会社、東京の輸入会、・コーヒー農場、その他と連絡を取り、文化フードプロジェクトを始動させ、ジャングルにBASE LOGISTICKを開く予定だ。

NASAは2030年までに人類を火星におくる壮大な夢プロジェクトを発表した。あと4年だ。病気もしたことはないし、いつも体と頭を稼働させているから、4年後も生きているだろう。

夏は夜7時半頃からジャングルをホタルが飛び交い、幼い時に聴いたフクロウの鳴き声が聴こえる。ジャングルを里山に戻し、暮らしの薬園にし、シンプルに暮らし、自由に生きる、そのためのブラジル村農場にしたいと思っている。

今造成している原野は、3歳~小学2年前期まで暮らし、街の幼稚園、小学2年前期まで通学した、想い出の多い場所なのだ。

(文/末吉業幸)

著者紹介

Nariyuki Sueyoshi 末吉業幸

Nariyuki Sueyoshi 末吉業幸
沖縄県名護市生まれの団塊世代。生まれ故郷で18年、東京で約10年暮らし、29歳の時に、新天地ブラジルへ東京JICA工業移住者として移住。2024年9月に47年を迎えます。妻は日系2世で同じ職業。

移住一年後に、昼間サラリーマンとして働く傍ら、夜はファリアリマ通りに家電販売修理店舗を設立。以後コンピユ―ターコンサルタント、本業のほかにも、セラード農業への個人投資、日系コロニアのボラティアも経験しました。ジョアン・フィゲレード大統領の補佐官(日系第一号の大統領補佐官)と知友になれたことで、公的交友の道へ歩む幸運に恵まれたとも言えます。

信条の第1は健康であること。第2は貧乏を寄せ付けない財産を持つこと。第3は良き隣人を持つこと。第4が仕事の成功。第5が心を豊かにする趣味をもつこと。シンプルに暮らし、自由に生きてきた、どこにでもある生き方。これからも同じ生き方をしていくつもり。
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