バイーアから世界へ。苦境をチャンスに変えた情熱的なデザイナー兼教育者レナ・サンタナ。今、真剣に考えるブラジルファッションの未来とは?
2013年 11月 4日「運も実力のうち」と言うが、バイーア出身のファッションデザイナー、レナ・サンタナは運を自分自身の努力で切り開いてきた人。幼少期の貧しい生活環境に屈する事なく、苦境をチャンスとし、自身のスタイルを確立してきた。
15年に渡るロンドンでの活動にいったん終止符をうち、現在、リオデジャネイロを拠点として、様々な教育プロジェクトなどで自国の後輩たちにファッションの可能性や自身の経験を伝えている。またブラジルのサステイナブル・ファッションにも早くから取り組んできた。
そんなとてもパワフルで明るい彼女に今ブラジルで感じること、また今後の展望を聞いた。
—-どのようにしてファッションと出会いましたか。
私はバイーア州サルバドール市出身なのですが、幼い頃、私の家族は非常に貧しかったので、服を買うお金もなく、母は市場に行って安い生地を買って来て私たちの洋服を作ってくれていました。
私は母の横に座り、人形の洋服を真似て作ったりしていました。このようにして服作りと出会いました。私はその後ダンサーとなり、19歳の時にサルバドール市よりもチャンスのあるリオデジャネイロ市に移りました。
—-その頃、90年代の始めだと思うのですが、リオデジャネイロのファッションは今と比べるどのようでしたか。
当時、ファッションの大きな動向はありませんでした。今に比べて、ヨーロッパの影響もさほど見られませんでした。まだメイド・イン・ブラジルのものが多かったですね。私はそういった「ブラジルらしさ」が好きでした。
今はヨーロッパの影響が大きすぎて、特徴を欠いて来ています。というのは、当時、個人経営の縫製屋が沢山あり、人々はそういったところで服を個人的に仕立てていましたから、ハンドメイドの服が主流でした。ヨーロッパの服も高くてアクセスも少なかったのです。今はそういった文化が失われています。
—-あなたはコレクションやプロジェクトの中で、ブラジルの庶民的かつ伝統的な布、Chita(シータ)を良く使いますが、その当時、ブラジルでは使われていましたか。