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Entrevista パウリーニョ(ポリーニョ)・ガルシア

パウリーニョ・ガルシア

1979年、アメリカ合衆国のシカゴに渡ったパウロは、友人でもあったドラマーのデデー・サンパイオに誘われてメイド・イン・ブラジルというグループに加入する。グループの中心人物はブレーノ・サウエル。

ポルトアレグリ出身のブレーノ・サウエルは、アコーディオン~ヴィブラフォン奏者。ボサノヴァ黎明期の1950年代後半から、自身のクアルテート、あるいはキンテートで、モダーンな演奏をしていた。60年代後半にメキシコツアーを経て合衆国へ。1974年からシカゴを拠点としている。

メイド・イン・ブラジルは、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)をジャズやフュージョン、ソウルのエッセンスをまぶしてファンキーに演奏するグループだった。1984年、パウザ・レコードに残した唯一のアルバム「トゥド・ジョイア」は90年代にロンドンや東京のクラブシーンで注目を集め、当時、アナログLPで再発盤も発売された。

「1991年頃まで、13年くらいこのバンドで演奏しました。当時はまだ私はベースを演奏していました。レコードは1枚だけしか録音しませんでしたが、いいレコードに仕上がったと思っています。グループでは、私もブレーノと共にアレンジも手掛けていました」

やがてパウロはヴィオラォンを演奏、歌も歌うようになり、シカゴでは、ブラジル音楽の演奏があれば真っ先に声がかかるミュージシャンとなった。

「主に演奏したのはジャズです。ボサノヴァの楽譜に書かれている曲を演奏することもよくありますが、ボサノヴァのスタイルではなく、ジャズとして演奏する機会がほとんどです」(次ページへつづく)。

(文/麻生雅人、写真提供/COTTON CLUB、撮影/米田泰久)
コットンクラブにて、パウリーニョ(ポリーニョ)・ガルシア

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