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カンデラリアの虐殺から21年。リオで追悼ミサと集会が行われる

カンデラリア21

カンデラリアの虐殺については、テレビグローボも、2006年にドキュメンタリー番組「正義のホットライン~カンデラリアの虐殺」(エヂソン・エルドマン監督)を制作している。

舞台となったのは、近年、さまざまな抗議デモの集会場としても知られるようになった、リオデジャネイロ市に旧市街区にあるカンデラリア教会前の広場。

1993年7月23日(水)の真夜中少し前、路上生活をしていた少年たち約40人が寝ていた教会前の広場に2台の車両が近づき、車に乗っていた5人の男たちが少年たちに銃弾を浴びせた。

二人の子どもと19歳の少年一人がその場で殺害され、逃げる少年たちは追われ、さらに二名の少年が殺害された。他にも二人の少年の死体がフラメンゴで発見された。実際の犠牲者数は定かではないともいわれている。

虐殺を行ったのは現職の警官など。教会前で寝泊まりしていた少年たちは、事件のあった前日に警察車両に対して投石していたという。虐殺は投石への報復という一面もあったとされているが、もちろんそれだけが理由ではないだろう。

事件に巻き込まれたのは、路上で生活する少年たちだ。なんらかの事件などに巻き込まれ両親が殺害された子どもや、家庭内暴力から逃げるためなど、さまざまな理由から路上での生活を余儀なくされている子どもたちが、ブラジルの都市部には少なくない。

彼らは生きていくために、麻薬密売組織に利用されたり、スリや窃盗などを行う者もいることから、一般市民、とくに中産階級以上の都市生活者からは疎まれたり嫌われたり恐れられたりしている面もある。

そうした路上の少年たちを抹殺してしまう行動は少なくとも1980年代からブラジル各地で行われている。殺戮の実行者たちが警官や元警官であることも少なくなく、少年たちの盗みなどで被害にあっている地元の住民や商店主などから、謝礼をもらって行なわれることがることも指摘されている。

「死の部隊」と呼ばれるジュスチセイロ(自警団)については、ブラジルのジャーナリスト、ジウベルト・ジメンステインが記した「ア・ゲッハ・ドス・メニーノス(邦訳版「風みたいな、ぼくの生命」)」(1990)に詳しい。臭いものには蓋を、の理論で、路上で生活する少年たちの抹殺を容認する気運がブラジルの社会に存在していることが、指摘されている(次ページへつづく)。

(文/麻生雅人、写真/Tânia Rêgo/Agência Brasil)
7月23日(水)、リオデジャネイロ市カンデラリア教会前。虐殺事件があった広場で事件を風化させないためのパフォーマンスをする人々

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