軍事政権時代、シネマノーヴォを代表する映像作家グラウベル・ホッシャに暗殺計画

2014年 08月 19日

グラウベルホッシャ

リオ生まれで、子供の頃に家族でサルバドールに移住。キリスト教系の高校に通いながら脚本を書いたり芝居に出たりし始め、才能を開花させた。ラジオ番組や演劇、アマチュアの映画集団、学生運動にも参加するようになる。

バイーア連邦大学の法学部に入学した年(1959年)に短編映画の制作を開始。3年目に中退して地元紙の記者として働き始め、映画のコラムも執筆した。62年に長編作品を発表。映画製作会社を造り、革新的な映画制作活動を続けた。

中でも「黒い神と白い悪魔」(63年)、「狂乱の大地」(67年、上映禁止されるも、後に条件付きで公開された)、「O Dragão de Maldade Contra o Santo Guerreiro(オ・ドラガォン・ヂ・マウダーヂ・コントラ・オ・サント・ゲヘイロ)」(69年)の3作品は、社会への批判が強く表われた作品として有名だ(次ページへつづく)。

その間、その才能が評価され、招待されてヨーロッパでの映画制作にも参加した。その一つが、ジャン=リュック・ゴダールらが監督した映画「東風」への出演だ。

1964年に始まった軍事政権に「破壊分子」として見られるようになり、時代に絶望して71年に自主的に亡命。アメリカのコロンビア大学で論文を執筆、チリで亡命中のブラジル人を描いたドキュメンタリー映画を制作した後にキューバに1年滞在した。その後ウルグァイ、フランスに渡った後、76年に帰国した。

常に問題意識を持ちながら映画について書き、考え、その考えを表現する芸術を模索し、現実を批判的に見る新たな美学を打ち出していたグラウベルは、時代の枠に収まらないポレミックな映画監督だった。1981年に、42歳の若さで気管支肺炎で亡くなった(16日付「G1」サイト、wikipedia「Glauber Rocha」項、UOL Educação「Glauber Rocha」項より)。

(記事提供/ニッケイ新聞、写真上/Tânia Rêgo/Agência Brasil)
写真は8月16日、リオデジャネイロ。委員会に参加したグラウベル監督の娘パロマ・ホッシャ

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