映画「ペレ 伝説の誕生」にブラジルサッカーの真髄を見た

2016年 07月 30日

ペレ 伝説の誕生

現在公開中の映画「ペレ 伝説の誕生」を見た。すばらしい映画だった。

筆者はブラジル在住当時、初対面のブラジル人に対しまずはサンチスタだと自己紹介していたが、すると決まって、「ペレがいたからかい?」と尋ねられた。そのたびに、「カズーが在籍してたからだよ。カズーはまだ日本で現役でプレーしてるんだよ」と答えると、ほとんどの人が、「ああカズーね。彼はいい選手だったね。まだやってるのかい。すごいね」と返した。そして必ずといっていいほど、そのまま会話がはずんだ。

ペレは、サントスの英雄であり、ブラジル、いや世界中におけるサッカーの王様だ。

わかってはいるが、しかしこれまで、筆者が興味を注いできたのはホビーニョやネイマールといった自分が体感しているのと同時代に活躍している選手達のプレーで、ペレのプレーにはほとんど注目していなかった。

しかし、この映画を見てペレがどれだけ偉大なサッカー選手だったかということが痛いほどわかった。と同時に、サンチスタとして、またブラジルサッカーファンとして、今までペレのプレーに注目してこなかった自分を恥じた。

ペレ 伝説の誕生

この映画が興味深いのは、ペレの生い立ちについてもそうなのだが、同時に、ペレーがデビューした頃のブラジルのサッカー界を取り巻く環境についてだ。

映画によると1950年のマラカナンの悲劇を境に、ブラジルのサッカー界は自信を失っており、プレースタイルの欧州化が試みられていたという。

まさに、今のブラジルサッカーの状況に非常に似ているのだ。

そもそも、ブラジルサッカーを一語で表すと、「ジンガ」になるだろう。ジンガとは、ポルトガル語で「ふらふら歩く。ゆれる」といった意味だが、ブラジルの格闘技「カポエイラ」やサンバのリズムにも深くかかわるとされる、ブラジル人特有の動きのことだ。

ブラジルサッカーの原点はストリートサッカーであり、ストリートサッカーがジンガを生み出した。ペレのサッカーはまさにジンガだ。見ている人をわくわくさせてくれる。

ペレがサントスに入団したのは1957年、そしてブラジルセレソンとしてW杯を戦うのが1958年だが、サントスの指揮官もセレソンの監督も、「ジンガ」そのものともいえるペレの得意の個人技を厳しく禁じ、ヨーロッパ流の戦術優先のチームプレー重視のサッカーをさせるのだ。

しかし、サントスでもセレソンでも、ペレは自分の信念を信じ、ジンガで勝利に導くのだ。それが、ブラジル人選手にとってもブラジル国民にとっても、ブラジルにとってもっともふさわしいサッカーであるということを身をもって体感させるのだ。

これは、実にあっぱれであり、感動ものだ。そして、ペレがどうしてあんなにもブラジル中で愛され続けているのかということがよくわかる。

この映画「ペレ」はアメリカ合衆国産の映画なので、キャストのすべてがブラジル人というわけではなく、また全編英語なのだが、ちゃんとしたセリフ扱いの部分(日本語版では字幕が付くところ)以外では、特に、ペレが子ども時代の仲間同士の会話などはポルトガル語で話されており、とても臨場感を受けることができた。ちなみにペレの父親役を演じているのは、ブラジルの人気ミュージシャン、俳優のセウ・ジョルジだ。

この映画を見て、ペレの現役時代のプレーを見たい、と思ったとと同時に、やはり今のブラジルにとっても、ブラジルサッカーの原点、真髄である「ジンガ」を忘れてはいけないと思わずにはいられなかった。

ブラジルサッカーの真髄が体感できること間違いなしの映画だ。

「ペレ 伝説の誕生」はTOHOシネマズシャンテほかで上映中。映画の公式サイトはhttp://pele.asmik-ace.co.jp/

(文/コウトク、写真/©2015 Dico Filme LLC)

著者紹介

コウトク

2005年6月~2012年6月まで仕事の関係で、ブラジルに在住。ブラジル在住当時は、サッカー観戦に興じる。サントス戦については、生観戦、TV観戦問わずほぼ全試合を見ていた。
2007年5月のサンパウロ選手権と2010年8月のブラジル杯のサントス優勝の瞬間をスタジアムで体感。また、2011年6月のリベルタドーレス杯制覇時は、スタジアム近くのBarで、大勢のサンチスタと共にTV観戦し、優勝の喜びを味わった。

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