ブラジル小売業界の雄、パォン・ジ・アスーカル・グループ

2016年 11月 9日

パォン・ジ・アスーカル

ヴァレンチン・ジニスは、1929年にブラジルのサンパウロに到着しています。ブラジル到着から19年経過した1948年に念願だった自分の店をオープンしたのです。店の名前は、ヴァレンチンがブラジルに船で到着した時に初めて見た絶景に敬意を表して、「ポン(パォン)・ジ・アスーカル」と名付けました。

その後、ヴァレンチンの事業は軌道に乗り、1959年には菓子屋の前にスーパーマーケット1号店をオープン。スーパーマーケットは順調に店舗数を増やし、1968年にはサンパウロを中心として65店舗を構えるまでになり、ポルトガル、アンゴラ、スペインなどへの海外進出も始めました。

1970年には家電量販店を買収し、大型マーケット「ジャンボ」をオープンします。また、1978年には3つのスーパーマーケットチェーンを買収しました。

1981年には傘下の小売店を統合し、GPAの正式名をブラジル流通会社(Companhia Brasileira de Distribuição)にしています。1980年後半に、「ジャンボ」を閉店して、代わりに大型マーケットの「エストラ(Extra)」を1989年にオープンしています。

1980年後半には、ヴァレンチンの長男であり、ブラジルの著名な実業家でもあるアビリオ・ジニス(Abilio Diniz)が社長業を継ぎ、リストラを敢行しています。1993年、アビリオはGPAの最大の株主となり、兄弟たちを経営から遠ざけ、代わりに自分の子供を経営陣に入れました。

1995年には株式公開を行い、1.1億ドルを集めています。食品小売業界がサンパウロ市場で上場した初めてのケースです。1997年には、ニューヨーク証券取引所でも株式公開を行い、1.7億ドルを集めています。その後もGPAは、買収を繰り返して成長を続けます。

1999年にフランスの小売企業カジノルグープが、GPAの株式を25%取得して少数株主になりました。2005年には、カジノグループが持ち分を増やし、アビリオと50%ずつ所有します。

カーザス・バイーア

2009年には、家電量販店の「ポント・フリーオ」、「カーザス・バイーア」を買収し、南米最大の流通企業の地位につきます。

2011年、アビリオは業界2位の宿敵「カルフール」との合併話を持ち出し、カジノグループとの関係をこじらせます。カジノグループは当然のごとくこの提案を却下したため、アビリオの提案は日の目を見ることはありませんでした。

2013年、アビリオはカジノグループと袂を分かち、GPAの経営から手を引くことを公表しました。これにより、ジニス家による65年の経営の歴史に終止符が打たれました。その後、アビリオ・ジニスは、ブラジル食品メーカー大手の「ブラジルフーズ」の役員に就任したり、「カルフール」の株主になったりと何かと世間を驚かせています。

そんなGPAの業績は…(次ページへつづく)

(文/唐木真吾、写真/Divulgação)

著者紹介

唐木真吾 Shingo Karaki

唐木真吾 Shingo Karaki
1982年長野県生まれ。東京在住。2005年に早稲田大学商学部を卒業後、監査法人に就職。2012年に食品会社に転職し、ブラジルに5年8カ月間駐在。2018年2月に日本へ帰国。ブログ「ブラジル余話(http://tabatashingo.com/top/)」では、日本人の少ないブラジル北東部のさらに内陸部(ペルナンブーコ州ペトロリーナ)から見たブラジルを紹介している。
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