リオ市でアートと文化の祭典、開催中。世界的ウォールアート作家エドゥアルド・コブラの講演も

2017年 01月 21日

コブラ

エドゥアルド・コブラがグラフィティアートを描き始めたのは少年時代、1987~88年頃のこと。当時12歳だったコブラ少年は、生まれ故郷であるサンパウロ州の田舎町で、仲間と共に街中の壁にスプレーで絵を描き始めたという。

グラフィティアートとの出会いは、「Subway Art」と「Spraycan Art」という2冊の本で、出会った時にはすっかり心を奪われたという。

どちらも70~80年代のニューヨークのグラフィティについて書かれた本で、メトロや電車の車両にまでグラフィティが描かれるなど、ブラジルと違う環境があることにも衝撃を受けた。

描き始めた当初はグラフィティとは呼べない“落書き”であったが、この経験がウォールアートへと繋がる最初のコンタクトとなった。

許可された場所に描くウォールアートは合法だが、落書きは非合法行為。コブラ自身も3回補導されたことがあり、父親も何度か警察署に呼ばれたという。

貧しい家庭に育った上に当時は収入もほとんどなかったがコブラは、それでも壁に絵を描き続けた。ある程度、画力がついてきた頃には、絵を描くことと引き換えに食事や服やペンキなどを入手できるようになった。

そんなコブラにとって、“インスピレーションの燃料”はヒップホップ・カルチャーだった(次ページへつづく)。

(写真・文/noriji)