ブラジル生まれの名門ブランド「ATHLETA(アスレタ)」専門ショップが原宿にオープン
2017年 02月 4日ブラジル生まれのスポーツウェア・ブランド「ATHLETA(アスレタ)」の、日本初となるブランド専門店が2月3日(金)、原宿にオープンした。
1935年にアントニオ・パドゥア・ジ・オリヴェイラによって、マリャリーア・サンタイザベウ社のサッカーウェア・ブランドとして誕生したアスレタは、1954年から1974年にかけてブラジル代表のユニフォームを公式に手掛けたサンパウロ発の名門ブランドだ。
1958年、1962年、1970年のワールドカップでもセレソン・ブラジレイラが身に着けていたのはアスレタのユニフォームだった。当時、日本にもごく少量が輸入されて、サッカー選手たちの間で熱烈な支持を得たという。1962年からはコリンチャンスにユニフォームを提供したことがきっかけでブラジルのサッカー界を支える企業となったアスレタは、70年代には25のチームにユニフォームを提供していたという。
しかしブラジルの民政移行後、上陸したナイキやアディダスなどのグローバル企業の台頭もあり経営が苦しくなる中、アスレタは表舞台から姿を消した。
ところが時を経て、この名門ブランドは日本を舞台に復活ののろしがあがる。90年代、フットサル人気を背景にアスレタのロゴを使用したウェアがよみがえる。かつて存在したアスレタの日本法人はすでになくなっていたが、国内での商標利用が可能だったことから、新たにアスレタ・ブランドが日本でよみがえった。息を吹き返したアスレタ・ブランドは、ブラジルサッカー黄金時代を知る世代が監督を務める団体などがユニフォームに利用するなど、じわじわ話題となっていった。
アスレタ・ブランドを扱う日本法人自身もペスカドーラ町田の前身チームにあたるカスカヴェウのスポンサーを務めたほか、多くのチームがアスレタのウェアを愛用した。その後、同社は日本での商標権だけでなく本国の創業者ともコンタクト、正式に契約を交わした。日本でアスレタが復活した話題は本国ブラジルでも、サッカーファンやユニフォームマニアのブログなどでたびたび話題となっている。
2009年にはブラジルでも創業者の孫にあたるアントニオ・ブーガレリ氏がTBCグループと組んで、往年のブラジル代表ユニフォームのレプリカを販売して話題になった。現在、日本のアスレタは、フットサルの名選手ファルカン(ファウカォン)と公式スポンサー契約を結んでおり、この契約がブラジルでのアスレタの知名度の高まりに貢献しているという(次ページへつづく)。
(写真・文/麻生雅人)
写真は原宿に2月3日(金)オープンした「ATHLETA HARAJUKU」