藤田嗣治の旅と色彩に焦点をあてた展覧会「フジタ-色彩への旅」開催中。リオで描かれた作品も展示
2021年 05月 29日
「リオは雄大です。陽は燦燦と輝き、その明るさは感嘆するほどまばゆい。自然は色とりどりで豊か。そして何より、魅力的なブラジル人の優しさに心から感動しました」
1931年~32年にかけてのブラジル滞在中に現地の雑誌「ア・ノイチ・イルストラーダ」に掲載されたレオナール・フジタ(Leonard Foujita/藤田嗣治、1886-1968)のコメントである。
1920年代にパリで活躍、“すばらしき乳白色”と評された独自の手法で生み出された作風が賞賛された藤田嗣治。モディリアーニやシャガールらと共にエコール・ド・パリの一員として名をはせた藤田は、1929年に約16年ぶりに日本に帰国。その後、南北アメリカへの旅を通して、豊かな色彩を使った新しい作風を開拓していった。
ポーラ美術館では、そんな藤田の、中南米~北米をはじめ、日本各地、中国、東南アジア、ニューヨークと続いた旅と色彩に焦点をあてた展覧会「フジタ-色彩への旅」を開催している。
ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、メキシコなどを巡った中南米の旅で藤田が最初に降り立ったのはブラジルのリオデジャネイロ。1931年11月のことだった。
リオデジャネイロ・カトリック大学の助教授を経てジャーナリスト、美術家として活動するアウフレッド・グリエッコによると、この時期に藤田が旅に出たのには、パリで成功したことから税金が莫大になってしまった藤田は、世界を巡り個展で収益をあげようとしたこと、妻だったモデルのリュシー・バドゥ(藤田はYukiと呼んでいた)が共通の友人ロベール・デスノスの元へ去ってしまったことなど、いくつもの理由があったという。
リオとサンパウロで開催した展覧会のために、藤田は現地でいくつかの作品を描き、サンパウロでは絵の買い手も多かったという。
また、おかっぱ頭にマル眼鏡、個性的なファッションに身を包んだ藤田と、同行した新しいパートナー、赤毛のダンサー、マドレーヌ・ルクーのカップルは、ブラジルでも「ア・ノイチ・イルストラーダ」、「オ・クルゼイロ」、「フォン・フォン」などメディア(雑誌)の寵児となった。1931年の年越しパーティのためにリオでモーニングを仕立てたほか、カンカンダンサーの格好をしたり、自作の服をまとったり…さまざまな姿をしていたという。
1920年代末~30年代初頭、パリに滞在していた時期に藤田と交流があったブラジルの画家カンジド・ポルチナーリがリオでのホストを務めたほか、藤田はリオで、詩人マヌエウ・バンデイラをはじめパレス・ホテルに集う文化人、芸術家、ボヘミアンたちと交流している。ポルチナーリと藤田は互いを描き、マヌエウ・バンデイラはマドレーヌについての詩を書き、藤田はマヌエウの似顔絵を残している。
当時、いかがわしく猥雑だったラパを愛し、ポルチナーリに連れられサンバの聖地ヴィラ・イザヴェウ地区で路上のカルナヴァウに参加して楽しんだという藤田。リオに滞在したのは2~3か月だったが、それは濃厚な時間だった。
本展覧会「フジタ-色彩への旅」でも、リオで描かれたとされる「町芸人」(1932)、「カーナバルの後」(1932)、「室内の女二人」(1932)が展示されている。
展覧会は2021年9月5日(日)まで。会期中無休、開館時間は9:00~17:00。大人1,800円(シニア割引・65歳以上1,600円、大学・高校生1,300円、中学生以下無料)。ポーラ美術館(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山 1285、電話:0460-84-2111)。詳細は公式HPを参照(https://www.polamuseum.or.jp/)。
(文/麻生雅人)