ブラジルのシンガーソングライター、俳優のジャルズ・マカレーが死去
2025年 11月 18日

ジャルズ・マカレーは、肺気腫の治療のためリオデジャネイロ西南部バーハ・ダ・チジュッツカの私立病院に入院していたが、手術後に心停止を起こし、11月17日(月)に亡くなった。訃報は本人の公式SNSで発表された。
「ジャルズ・マカレーは本日私たちのもとを去りました。彼は手術から目覚めた際、『私の名はガウ』を歌い、いつものようにエネルギーとユーモアに満ちていました」と投稿は伝えている。
ジャルズ・アネ・ダ・シウヴァは1943年3月3日、リオデジャネイロ北部チジュッカ地区、モーホ・ダ・フォルミーガ近郊生まれ。1960年代に文化的活動をはじめ、歌手、音楽家、作曲家、俳優として活動した。
幼少期から音楽に囲まれて育ち、丘(モーホ)ではサンバのバトゥーキが響き、隣家には歌手ヴィセンチ・セレスチーノとジウダ・ジ・アブレウが住んでいた。
実家では母リジアがピアノでフォックス、ワルツ、モジーニャを弾き歌い、父がアコーディオンを奏でた。弟ホベルト、そしてジャルズ自身も加わり、家庭内合唱を楽しんでいた。
ラジオ黄金期にはハジオ(ラジオ)・ナシオナウを聴き、シウヴィオ・カウダス、フランシスコ・アウヴィス(声の王)、カウビー・ペイショット、オルランド・シウヴァ、マルレーニ、エミリーニャら人気歌手が土曜に出演する「プログラム・セーザル・ジ・アレンカール」をよく聞いていた。
若くして一家とともにイパネマ地区へ移り、ボタフォーゴのチーム史上最も不名誉な選手にちなみ「マカレー」のあだ名がつけられた。
思春期には最初の音楽グループ「ドイス・ノ・バランソ」を結成。後にジャズ、セレナータ、サンバ・カンサォンを演奏する「コンジュント・ファンタジア・ジ・ガロート」を結成した。
指揮者ゲーハ・ペイシにピアノとオーケストレーションを、ペーター・ダウエスルベルグにチェロを、トゥリビオ・サントスとジョダシウ・ダマスセーノにギターを、エステル・スクリアに音楽理論を学んだ。
1965年、グルーポ・オピニァォンのギタリストとしてプロ活動を開始。マリア・ベターニア初公演の音楽監督を務め、エリゼッチ・カルドーゾやナラ・レオンらが彼の作品を録音した。
ガウ・コスタ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ、作曲パートナーのジョゼー・カルロス・カピナンとともに、興行を管理する「熱帯芸術エージェント(アジェンシア・トロピカルテ)」を設立。
ネウソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の映画「オグンのお守り」、「奇跡のテント」に俳優・作曲家として参加。さらにジョアキン・ペドロ・ジ・アンドラージ監督「マクナイーマ」、グラウベル・ホッシャ監督「アントニオ・ダス・モルテス」、アントニオ・カルロス・フォントウーラ監督「悪魔の女王」、ウーゴ・カルヴァナ監督「しっかりしろ、マランドロ!」の音楽も手がけた。
代表曲には「ヴァポール・バラート」、「アンジョ・エクステルミナード」、「マウ・セクレート」、「モヴィメント・ドス・バウコス」、「フア・ヘアウ・グランデーザ」、「アウテーザ」、「ホテル・エストレーラ」、「ポエマ・ダ・ホーザ」などがある。
彼の作品を歌った歌手にはガウ・コスタ、マリア・ベターニア、クララ・ヌニス、カミーザ・ヴェヌース、オ・ハッパなどがいる。
2019年、アルバム「ベスタ・フェラ」がラテン・グラミー賞最優秀MPBアルバムにノミネートされ、サンパウロ芸術批評家協会(APCA)により同年上半期のブラジル25大アルバムの一つに選出された。
APCAはまた、アルバム「コラサォン・ビフルカード」を2023年のブラジル50大アルバムの一つに、さらにゼー・ケチとセルジオ・クラコポウスキとの共作「マスカラーダ」を2024年の50大アルバムの一つに選出した。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)




