日本を沈めたマルチネッリ。コリンチャンス下部組織では「無名だった少年」の逆転キャリア
2026年 07月 1日
日本代表のワールドカップが終わった。
“史上最強”と称賛され、アジア予選を危なげなく突破。本大会での健闘により、日本サッカーへの評価は国内外でさらに高まった。
ブラジル代表との一戦。スコアは2-1だったが、内容では実力差を感じさせられる敗戦だった。それでも、日本が先制点を奪ったあの瞬間、「もしかしたら勝てるかもしれない」と胸を躍らせた人は多かったはずだ。
選手たちには、まずは感謝を伝えたい。そして、いつの日か日本代表がワールドカップ優勝を果たす日を楽しみにしている。
さて、その日本戦でアディショナルタイムに決勝点を決めたのが、ガブリエウ・マルチネッリ選手だ。
日本では彼の名を今回初めて知ったという方も、少なくないかもしれない。しかし彼は現在、イングランドの名門アーセナルでプレーし、プレミアリーグ優勝も経験した世界トップクラスのアタッカーである。
実は、筆者は彼とチームメイトだった時期がある。
ブラジルの名門コリンチャンスの下部組織でお世話になっていた際、同じクラブの中学生チームに所属していたのが当時のマルチネッリだった。
<エリート街道とは程遠いキャリア>
ガブリエウ・マルチネッリの経歴は、ブラジルサッカー界を知る人間からすると非常に異例だ。
クラブワールドカップを制した名門コリンチャンスの下部組織に所属していた彼が、14歳で選んだ移籍先は、当時ブラジル4部のイトゥアーノFCだった。
1部の名門クラブから4部クラブへ移籍することは、一般的には大きなステップダウンと受け止められる。もっとも、この移籍は家族の引っ越しという事情だったとは聞いている。
しかし彼は、そこから世界最高峰リーグであるプレミアリーグのアーセナルへ移籍し、リーグ優勝を経験。そしてブラジル代表となり、ワールドカップで日本代表から決勝点を奪うまでの選手へと成長した。
当時の彼は、少なくともチーム内で「将来ブラジル代表になる」と期待されるような存在ではなかった。
体は小さく、スピードも今ほどではない。チーム内にはブラジルU-15代表やU-17代表に選ばれ、「将来有望」と言われていた選手が何人もいた。マルチネッリは、当時はほとんど無名の存在だったのである。
そんな彼が今、世界最高峰の舞台で躍動し、ブラジル代表として日本代表から決勝点を奪う。サッカーとは、本当に何が起こるか分からないスポーツだ。
<サッカー指導者としての「問い」>
だからこそ、日本の中学生や高校生には伝えたい。
今代表だからと慢心せず、結果が出ていないからと諦めないでほしい。毎日の積み重ねが、数年後には想像もしなかった未来へつながることがある。
そして、この経験は私自身にも大きな学びを与えてくれた。
選手の未来を予測することだけが、指導者の役割ではない。
選手の可能性を信じ、その成長を支え続けることこそ、指導者の本当の役割ではないだろうか。
育成年代で未来を決めつけることは誰にもできない。マルチネッリの歩みは、そのことを私に改めて教えてくれた。そして、これから出会う子どもたちの可能性も、決して早々に決めつけてはいけないと、強く感じている。
育成年代で未来を決めつけることは誰にもできない。マルティネッリの歩みは、そのことを私に改めて教えてくれた。そして、これから出会う子どもたちの可能性も、決して早く決めつけてはいけないと強く感じている。
(文/平安山良太)
※ブラジルでの育成現場や、Jリーグで指導者・強化担当・通訳として経験してきたことについては、noteでも発信しています。ご興味のある方はぜひご覧ください。





