リオ州南部で、アフリカ系文化「ジョンゴ」の祭典を開催
2026年 07月 26日
マリア・ジ・ファッチマ・ダ・シウヴェイラ・サントス、通称メストラ・ファチーニャの70歳を祝う祭典は、リオデジャネイロ州ジョンゴ記念日を記念して、リオ州南部ピニェイラウのパルキ・ダス・ルイナスで開かれる「第5回ヴァーリ・ド・カフェ・ジョンゴの集い」にて行われる。
イベントは7月25日(土)、リオデジャネイロ州とサンパウロ州の18のキロンボ(逃亡奴隷たちが潜伏生活を送った集落の子孫の共同体)やジョンゴ(注1)の伝統コミュニティから、450人の指導者を集める予定だ。ファチーニャにとって、この集いは祖先の文化を再確認するものであり、象徴的な場所で行われることにも意味があるという。
(注1)ジョンゴは、主にリオ・パライーバ川流域のコーヒー農園やサトウキビ農園で働いていたアフリカ系奴隷たちの間で確立されたコミュニケーション手段。労働の監督や主人が理解できない「点(pontos)」と呼ばれる暗号化された歌を通じて、奴隷たちの間で出来事や情報を伝達する生存戦略でもあった。ジョンゴは常に周縁的な領域にあり、黒人たちが自らと自らのコミュニティについて語るための記録であり、暗号言語であった。地域によって、タンブー、バトゥーキ、タンボール、カシャンブーなどの名称でも知られる(国立歴史芸術遺産院(IPHAN))
ピニェイラウ市が提供したパルキ・ダス・ルイナス内の2つの区域では、ピニェイラウのジョンゴ指導者たちが設立したフルミネンシ南部アフロ文化研究センター(Creasf)が、地域のルーツを継承するための活動を展開している。
この場所には、ブラジル植民地時代に最大規模のコーヒー農園の一つであった「サン・ジョゼー・ドス・ピニェイロス」が存在し、かつて3,000人以上の奴隷化された黒人が生活していた。「私たちは彼らからこの伝統を受け継ぎ、それを守っています。複数の家族にまたがる多くのジョンゴの核があるのです」とファチーニャは説明する。

ファチーニャは、これまでの人生のうち50年間を、リオ州南部ヴァーリ・ド・カフェ地域で黒人文化を守り抜く闘いと抵抗の最前線で過ごしてきた。
「ジョンゴは黒人の真の闘いの旗印です。奴隷化された黒人たちは、ジョンゴを使って組織し、恋をし、アフリカへの郷愁を歌い、オリシャ神を祀っていました」
ファチーニャによると、リオとサンパウロを結ぶ黒人運動は1980年代後半から1990年代初頭にかけて非常に強く興り、彼女が活動を始めたのもこの時期だった。活動の出発点は、ピニェイラウに隣接するヴォウタ・へドンダにある、リオ州唯一の黒人社交クラブ「クラブ・パウマーリス」だった。
「私の両親や祖父母は、ブラジルで黒人として生きることの意味を常に深く理解していました。私の家族ではいつも文化が大切にされていました。曾祖父はモザンビークのコルテ(アフリカ起源の伝統で、行列=コンガーダとも呼ばれる)を持ち、父はジョンゴの担い手であり、サンビスタであり、音楽家でした。叔母たちは歌い、祖母もそうでした。母は93歳になりますが、今も歌っています」と語った
<認定>
メストラ・ファチーニャの闘いは、黒人文化の保存に対する彼女の取り組みが学術界から正式に認められる結果をもたらした。
「昨年、フルミネンシ連邦大学(UFF)が私に“顕著な知識保持者”の称号を授与してくれました。もう10年以上、UFFで『知の出会い』(大学と伝統文化の担い手が協働する教育プログラム)を続けています。大きな評価です」
黒人自身が自らの歴史を語ることができるようになった点も、重要な進展だという。
「これはとても大切なことです。特に子どもや若者にとって、私たちがその“参照点”となり、彼らが先人たちの闘いを尊重するようになるからです」
「ヴァーリ・ド・カフェでは、これまで“大農園主たちの記憶”ばかりが語られてきましたが、私たちはその流れに逆らい、黒人の歴史を伝えてきました。なぜなら、実際にこの農園の経済を支えたのは私たちの祖先だからです」と付け加えた。
ファチーニャによると、ピニェイラウのジョンゴが行ってきた文化活動により、昨年パウマーリス財団が同地域をキロンボ(逃亡奴隷たちが潜伏生活を送った集落の子孫の共同体)として認証した。現在は、国立入植農地改革院(Incra)で地域の境界確定を進める意向だという。
「ここは歴史的な地域で、私たちの文化により大きな可視性を与えてくれます。すでに行っている活動を、より本物らしく発展させることができるのです。」
<歴史>
2005年、ブラジル国家歴史芸術遺産院(Iphan)はジョンゴをブラジルの無形文化遺産として認定した。ジョンゴはコンゴやカシャンブーとも呼ばれ、メストラ・ファチーニャによれば、ブラジル南東部を代表する文化表現である。
この伝統は、バントゥ系の奴隷化された人々――特にコンゴ、アンゴラ、モザンビーク出身者――の子孫によって受け継がれている。彼らはかつてリオデジャネイロ、ミナス・ジェライス、サンパウロ、エスピリットサント各州のコーヒー農園やサトウキビ農園で働くために連れてこられた。
奴隷制廃止後、ジョンゴは山を下り、リオの丘陵地帯へと広まり、後にサンバ団体を創設する家族たちの手によって受け継がれていった。
第5回ヴァーリ・ド・カフェ・ジョンゴの集いは、ジョンゴ・ジ・ピニェイラウ、ヴァーリ・ド・カフェ・ジョンゴネットワーク、フロレスタ研究所、リオ州無形遺産ネットワーク、フルミネンシ南部黒人研究センター(CREASF)が主催し、ピニェイラウ市、人種平等省、司法省、国民市民治安プログラム(Pronasci)、ヴァソーラス博物館が協力して実施される。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)




