ブラジルの人気俳優・コメディアン、ネウソン・フレイタスが訪日
2016年 01月 22日ネウソン・フレイタス(53)はブラジルのエンターテインメント界の第一線で活躍している俳優・コメディアンだ。
義理の父親が日系人という縁もあり日本に興味があったというネウソン氏が、マリア・クリスチーナ・コルデイロさんと共に初来日を果たした。
ネウソン氏が8歳の時、最初の夫と離婚していた母親が日系人と結婚。それがきっかけで日本という国に興味を持つようになったという。訪日に際しアイピーシー・ワールドを訪ねたネウソン氏に、話を聞いた。
家族じゅうが軍関係者という環境で育ったネウソン・フレイタスは、13歳でミリタリースクールに入学した。家族は彼に、軍人として活躍することを望んでいたそうだが、楽しいことが大好きでいたずら小僧だったネウソンは、学校でもイベントやお祭りごとばかりに熱中していたという。
その後、商業船員研修学校(EFOMM)に進んだのち、システム関連の仕事をするために大学に通うが、同時に演劇を学び、その後は演劇一直線で突き進んでいった。
演劇学校では、「10年以内に芽が出なかったら諦める」という目標を持って学んだという。しかし10年はあっという間に過ぎ、義理の父も他界。仕事に就かなければならなくなったネウソンは金融関係の職を得た。
夢を諦めかけていたころ、アルゼンチンの「Chiquititas」というドラマのオーディションを受けるチャンスを得た。ネウソンはオーディションに合格して番組に出演、ブラジルでもSBTで放送された。すると、これを見たTVグローボのスカウトがネウソンをヒットコメディ番組「ゾーハ・トタウ」に抜擢。彼の才能を開花させた。
ネウソンが自分で一番気に入っているキャラクターは、「ゾーハ・トタウ」の中で演じたブラジル北部のキャラクターだという。しかし、ネウソンの存在を広めたのは”浮気な妻に翻弄される優しい真面目な夫”というキャラクター。この役が、コメディ俳優としてのネウソン・フレイタスのイメージを作り上げていった。
そんなネウソンが最も尊敬するコメディアンは、2012年に亡くなったシコ・アニージオ。なにより、シコの頭の回転の速さに敬服したという。
「シコ・アニージオの存在は私にとってはプライスレス。シコは、常にエレガントさを感じさせてくれました。彼の笑いは他人を傷つけることがありませんでした。普通に話していながらも、人生の深さをいろいろと感じさせてくれ、多くを学ばせてくれました」
実際に交流もあったという。
「今でも忘れられないのは、私のステージを最後に監督してくれた時のこと。それはスタンドアップコメディのスタイルの劇でしたが、シコは昔ながらのスタイルで演出してくれたのです。現代のコメディの流行は人を攻撃するようなスタイルで、毒舌で笑いを取る方法が多くなりました。しかしシコは、自分自身や社会一般的なことを風刺して観客を笑わせる技術を伝授してくれました」
義理の父親が日系人だったため日本式の教育方針で育てられてきたというネウソンは、実の兄も日系人女性と結婚しており、子どもの頃からブラジル風の味噌汁を食べて育ったという。
特に、教育に対する日本人の姿勢に感銘していたという。概して、他人に対してリスペクトを忘れず、社会の中のルールを皆が守って共存する、そんな精神が気に入っているという。今の日本では次第に忘れられつつあることかもしれないが、少なくともネウソンの中には、そんな昔ながらの日本の精神が息づいているようだ。
「ブラジルはといえば、政治的にも社会的にもゴタゴタで問題だらけなところもあります。でも、良いところもたくさんあります。音楽やダンスや、アートでも豊かな文化を持っています。日本のみなさんにはブラジルのいいところをたくさん知ってもらい、ブラジルのみなさんには日本のいいところがもっと伝わると、皆が幸せになれるかもしれませんね」
(文/加藤元庸、写真/ジョニー・ササキ)