【コラム】サンバの魅力
2018年 09月 5日今回はサンバの魅力のお話をしようと思う。サンバとパゴーヂの話を。
前菜その1
ちょうどこのコラムを書き始めた夜中、リオのMMA(総合格闘技)の道場で知り合った仲良しのメンデスから「君に聞かせたい音があるから電話してもいい?」とメッセージが来た。彼は今、アメリカ合衆国のマイアミの近くに住んでいる、
大丈夫だよと伝えると電話がかかってきて、メンデスがシャンヂ・ヂ・ピラーリスの曲を背後でかけ始めた。
そのあと生粋のカリオカ(リオっ子)のメンデスが話してくれた。
「ぼくはファンキ・カリオカ(合衆国生まれのファンク・ミュージックとは別。ブラジルの音楽のジャンルの一つ)とかヒップポップが好きなんだけど君が、パゴーヂを歌っているって言うから、なんとなく聞き始めてみたよ。詩や詩に込められた気持ちや心が結構いいなって改めて感じているよ」
「パゴーヂはブラジルで生まれた音楽で、ぼくはブラジル人だけど、いままであまり興味がなかったんだ。日本人の君を通じて、ここ(合衆国)でパゴーヂに出会うなんてね(笑)。このストーリーっておもしろいよね」
合衆国のブラジル人からこのような話で電話がかかってくるとは思わなかったけど、とても嬉しかった。
前菜その2
パゴーヂの歌詞は、日本の演歌の歌詞に少し似ているなと感じることがある。
演歌の歌詞のように、哀愁漂うエモーショナルな歌詞もある。日本人なのに感情を強く揺さぶられてしまう。なぜだか理由ははっきりわからないけど、感情が動かされてしまう。
みなさんはある景色を見ていて、音楽を聞いていて、映画を見ていて、なぜだかわからないけれど、泣きそうになる体験をしたことはないだろうか。パコーヂの歌詞は、こんなことを起こさせるような、エモーショナルな歌詞を伴う音楽だと思う。
メインディッシュ
リオのカーニバルが近づくとエスコーラ・ヂ・サンバ(サンバのチーム)は路上で公開エンサイオ(練習、リハーサル)を行う。
初めて路上でエンサイオを見たときは「生きているってこういうことなのかな」と率直に思った。それほどみんな、生命力に満ち満ちていた。あまりの躍動感に腰が抜けるかと思った。エナジーをこれでもかと言わんばかりに放出していて、度肝を抜かれた。
もちろんわたしだって一生懸命生きていたし、命を燃やしながら生きていると実感する瞬間もあった。それでも「今、わたしは生きているんだ!」と率直に魂が感じた。
いまでも、エスコーラのクアドラ(練習会場)でエンサイオを見るとき、パゴーヂに行っているとき、いつも生きていることを実感する。ほかの音楽を聴いていて、生きていることを実感できないわけではないが、サンバを聞いて音圧をシャワーのように浴び続けていると、自分が生きていることを強く感じる。
まとめ
わたしは決してサンバのプロではないし、サンバのほかにもブラジル音楽を幅広く好む。ファンキやセルタネージョ(ブラジルのカントリーミュージック)も最近のポップスも大好きだ。けれどやはりサンバに触れているときには、生きていることを実感させられてしまう。
シンプルすぎるが、生きていることを強烈に実感できるのがサンバの魅力だと思う。こんな音楽はなかなかない。
これから100年サンバを勉強しようとブラジル人のパゴデイロ(パゴーヂをやる人)を超える自信がないうえに、サンバばかりを聞いているわけでもない。ニセモノのパゴデイラ(パゴーヂをやる人、女性)かもしれないが、それでもオギャーと生まれたときからサンバを聞いている、サンバマニアであるブラジルのわたしのチームのみんなも、ある超有名なブロコ(路上でパフォーマンスを行うサンバのグループ)のヂレトール(監督)も、わたしをパゴデイラと呼ぶ。
自分はニセモノのパゴデイラだとくよくよするより、自分らしいサンバ、パゴーヂをやると決めたほうがすっきりする。だからわたしは自分のサンバ、パゴーヂをやろうと思う。
そうやって前向きに自分の音楽に集中するほうが、より心に響く歌を歌えると言えなくは無いだろうか? もしかしたら、自分軸で情熱を持って生きることこそが、わたしがサンバから学んだいちばん大切なことかもしれない。
(写真提供・文/Viviane Yoshimi)
写真上から友人のメンデス、リオのカーニバルの練習風景、リオの有名なブロコ「カシッキ・ヂ・ハモス」のサンバの女王たち