ボサノヴァの巨匠ホベルト・メネスカウ、生誕85周年記念作品で約60年ぶりに「小舟(オ・バルキーニョ)」を歌う
2023年 08月 9日
相棒である作詞家ホナウド・ボスコリとのソングライティング・チームで「小舟」、「二人と海」、「リオ」、「ヴァガメンチ」など数々のスタンダード曲を生み出してきたホベルト・メネスカウ(ロベルト・メネスカル)。
そんな、ボサノヴィスタの中のボサノヴィスタといえるホベルト・メネスカウ(1937年生まれ)が、85歳の誕生日を祝した世代を超えた音楽家と共に作り上げた「二人と海(Nós e o Mar)」をジャスミン・ミュージックから発表した。
このアルバムではメネスカウ&ボスコリが生んだ数々の名曲を中心に、メネスカウの曲がインストルメンタルを中心に再演されている。
アルバムの企画発案者は、フォルタレーザ作詞家アカデミーの代表を務めたこともある(現在は事務局長)、女優、劇作家、作詞家、プロデューサーとしても知られるフェルナンダ・キンデレ。
タンバ・トリオの中心人物ルイス・エサ(1936-1992)の4番目で最後の妻でもあったフェルナンダ・キンデレは、ルイス・エサと過ごした日々の想い出を綴った「ボダス・ダ・ソリダォン~ウン・オリャール・アズウ・パラ・ルイス・エサ」も出版している。
2017年にブラジリア大学で開催されたルイス・エサへのトリビュート・リサイタルにも招聘され、リサイタルの翌日にタンバ・トリオの想い出についての講演を行っている。
このリサイタルの主役で、フェルナンダの講演でもルイス・エサの曲を披露したのが同大学で音楽の修士号を取得した、当時新進気鋭のピアニストだったヂオゴ・モンゾだった。
この年、ヂオゴ・モンゾは自身のトリオによるルイス・エサのトリビュート・アルバム「ルイス・エサ・ポル・ヂオゴ・モンゾ」をフィーナ・フロールから発表している。アルバムにはゲストでアンドレ・メマーリ(演奏に加え録音技師としても参加)、レイラ・ピニェイロが参加したほか、フェルナンダ・キンデレとルイス・エサとの共作曲「ヘフレクソス」も取り上げられた。
ヂオゴはこのアルバムをきっかけにして、初めてホベルト・メネスカウと知り合ったという。
「メネスカウはその作品を最初に聴いてくれた人の一人でした」(ヂオゴ・モンゾ)
そして、時を経て2023年。ホベルト・メネスカウの生誕85周年記念アルバム「二人と海」が制作される。
「このプロジェクトは、文化プロデューサーのフェルナンダ・キンデレがレーベルに持ち込んだ提案から生まれました」と語るのは、ジャスミン・ミュージックの主宰者でもあり、本作のトリオの一員でもあるマルチ奏者ヒカルド・バセラール。
アルバムはバセラールとフェルナンダ・キンデレの共同プロデュースのもとで制作された。
主役はもちろんメネスカウ本人。作曲家でもありヴィオラォンの名手でもあるメネスカウは本作でもヴィオラォンを担当した。
「このアルバムはメネスカルへのオマージュとして企画したもので、彼をここフォルタレーザの私のスタジオに迎えることができたのは嬉しいことでした」(ヒカルド・バセラール)
バセラールとメネスカウは、バセラールがリオを拠点に活動していたロックバンド、ハノイ・ハノイ在籍時(80年代)からの旧知の仲だったという。
共演はピアニストのヂオゴ・モンゾと、プロデューサーでもあるマルチ奏者ヒカルド・バセラール。
選曲とアレンジも3人で行っている。
「みんなで選曲を考えたんだ。ヒカルド、ヂオゴがいくつか提案し、僕も案を出した。アルバムのレコーディング中に生まれたアイデアもある」(ホベルト・メネスカウ)
曲はボサノヴァ時代の作品にとどまらず、シコ・ブアルキとの共作曲で同名映画の主題歌「バイ・バイ・ブラジル」も取り上げられている。
ヂオゴ・モンゾは「小舟(O Barquinho)」、「二人と海(Nós e o Mar)」、「できることなら(Ah! Se Eu Pudesse)」、「塩の神の死(A Morte de um Deus de Sal)」、「永遠のコパカバーナ(Copacabana de Sempre)」の5曲の編曲を担当した。
「小舟(O Barquinho)」、「二人と海(Nós e o Mar)」、「できることなら(Ah! Se Eu Pudesse)」の3曲はルイス・エサが在籍していたタンバ・トリオが、「塩の神の死(A Morte de um Deus de Sal)」はルイス・エサがソロ作品でレパートリーにしていた曲でもある。
「クラシック音楽とポピュラー音楽の手法をアレンジの中に混ぜ合わせてみました。私はルイス・エサに影響を受けていますので、今回の作品には印象派音楽に通じる和声的な側面があります」(ヂオゴ・モンゾ)
残る5曲のうち、「リオ(Rio)」、「ヴォセ(Você)」、「ヴァガメンチ(Vagamente)」、「ア・ヴォウタ(A volta)」の4曲はヒカルド・バセラールが編曲を手掛け、「バイ・バイ・ブラジル(Bye Bye Brasil)」はバセラールとメネスカウが共同で編曲した。
「私のプロデューサーとしての考えは、メネスカウのヴィオラォンの特徴的なスイングを柱として維持しながら、ハモンドオルガンといくつかのキーボードを使用して、作品により現代的な質感を与え、ボサノヴァに新たなアイデアをもたらすことでした」(ヒカルド・バセラール)
3人に加え、ネリオ・コスタ(ベース)、パンチコ・ホッシャ(ドラム、パーカッション)が演奏をサポートした。
その結果、「メネスカウは、『自分たちは今までにないサンバ、“サンベチ”を創った』というモットーを掲げました」とバセラールは語る。
また、当初、このアルバムはインストルメンタル作品の企画としてスタートしたが、制作過程の中でヴォーカル曲も収録することになったという。
「バイ・バイ・ブラジル(Bye Bye Brasil)」ではゲストに、メネスカウのプロデュースでボサノヴァ作品を制作したこともあり、ヂオゴとは「ルイス・エサ・ポル・ヂオゴ・モンゾ」で共演しているレイラ・ピニェイロが迎えられた。
そして、本作品の最大の特徴でありサプライスが、2曲でメネスカウ本人がヴォーカルを担当している点だ。
「ヒカルドが、この僕が歌うというアイデアを出したんだ。僕はヒカルドに、本気かい?って聞いたよ。でもいい雰囲気だったから、結局、『小舟(O Barquinho)』と『できることなら(Ah! Se Eu Pudesse)』に僕のヴォーカルを入れたんだ」(ホベルト・メネスカウ)
長いキャリアの中でメネスカウが歌声を聴かせているのは、1962年のカーネギーホールでのボサノヴァ・コンサートのライヴ盤や、ナラ・レオンのアルバム「Os Meus Amigos São Um Barato」(1977年)に収録された「Flash Back」でのナラとのデュエットなど、実に稀だ。
しかも自作曲でメネスカウ自身がリードヴォーカルを務めるのは、スタジオ録音作品では初めてかもしれない。
「僕が人生で初めて、そして唯一『小舟(O Barquinho)』を歌ったのは、1962年、ニューヨークのカーネギーホールでのことだった。僕の歌手人生はカーネギーホールで始まり、そこで幕を閉じたのさ(笑)。(しかし今回は)ヴィオラォンなどを使って別のことをするつもりだったけど、プロデューサーに説得されて『小舟(O Barquinho)』を歌うことになったんだ」
ホベルト・メネスカウ生誕85年記念作品「二人と海(Nós e o Mar/ノス・イ・オ・マール)」は、CD及びデジタル配信にてリリースされている。
(文/麻生雅人)