ブラジルのインスタントラーメン事情。あの有名ブランド名は日本企業と無関係!?
2013年 08月 15日日清味の素アリメントスの商品に記されている「Miojo」は、日本の明星食品とは無関係だった!
なんと! では、この「ミョージョー」ブランドって…!?
「1965年にブラジルで「ミョージョー」というブランドで即席めんを製造発売したのは、許登樹氏と黄金漂氏という台湾出身の人達です。当時から日本の明星ラーメンは有名でしたから、勝手に「ミョージョー」をブラジルで商標登録してしまったのです。当時は簡単に商標登録が出来ましたから」(同)
ブラジル味の素は1972年にその台湾企業に資本参加して、1975年に全額取得。同時に、日本の日清食品がマイノリティとして参加しました。
「当時、味の素は商品多角化を推進して、海外での展開を拡張しようとしていました。味の素はブラジルに進出していましたが、まだ自社工場は持っていなかったんです。そこで工場を持っている食品会社を買収することになり、サンパウロ市内にあったその台湾企業を味の素が100%子会社にしたというわけです」
意図せず、台湾企業の製品として「ミョージョー」ラーメンがついてきてしまいましたが、そのまま「ミョージョー」は販売されたのだそうです。
「ところが日本の日清食品と味の素の関係で、1975年に両社が資本提携を結ぶことになりました。当初は50%の対等出資比率ではありませんでしたが、1983年に、50%/50%でやろうということになったんです」
ちなみに味の素に限らず、当時の日本の企業の経営思想として、海外での提携は、仲良く末永く夫婦のようにやっていきましょう、という趣旨で50/50にすることが多かったのだそうです。
「この時点で、日清さんが合弁会社からNissinブランドの即席めんを販売することになるんですが、日清さんとしては味の素が持っていた「ミョージョー」ブランドはとんでもないって話になりました。日清にしてみればライバル会社の名前ですから。消したいっていう議論もあったと聞いています」
しかし、発売から20年近く経っていたこの時点で、すでにブラジルではラーメン=ミョージョーとして認識されてしまっていたことから、ミョージョーの名も残すことに。
「最初に、「ミョージョー」で始まって、競合商品もありませんでしたから。今でもブラジルではラーメン=ミョージョー、乾麺のパスタはほとんどミョージョー。結局、Nissin/Miojoで発売することになり、それが今日まで続いているというわけです」
教訓。最初にマーケットに入り込んだ者に勝機あり。ブランドの浸透は早い者勝ち。
ちなみに酒井氏が日清味の素アリメントスの役員を務めていたのは2004~2007年のこと。
このころ、ガリーニャ・カイピーラ(地鶏)味など、現地に特化した味のラインナップが出揃った。
「基本的にはこのころの目標はさらなるシェアの拡大でした。もともと高いものではありませんが、コストダウンを図ってより買いやすい価格に抑えて、かつ、ノルデスチ(北東部)の味など、ブラジル人の口にあうような味の種類を作りました」
この戦略は、より現地に特化したライン、Sazon(サゾン)ブランドの商品で、より顕著に打ち出されています。Sazonは、ブラジルの地域ごとの消費者嗜好にあった品種を開発して、特色のある味を提供しています。
「風味のバリエーションは90年代にすでにあったんですが、90年代はハイパーインフレもあってブラジルは混乱期でした。市場自体が安定しはじめたのが2000年代に入ってからなんです」
たかがラーメン、されどラーメン。海を越えてブラジルに渡った即席めんは、日本では思いもよらない冒険に巻き込まれていたのでした。
<参考資料>
即席めんの世界総需要(世界ラーメン協会)
http://instantnoodles.org/jp/noodles/expanding-market.html
味の素
http://www.ajinomoto.com/jp/presscenter/press/detail/2012_11_13.html
(取材協力/ブラジルビジネス情報センター BRABIC)
www.brabic.com