Entrevista Bianca Gismonti ビアンカ・ジスモンチ
2014年 07月 27日ビアンカの初ソロ・アルバム「ソーニョス・ヂ・ナシメント」(2013)には、ユーリ・ポポフやナナ・ヴァスコンセロスなどブラジル音楽界の錚々たる顔ぶれが参加している。その中の打楽器奏者のナナ・ヴァスコンセロスは、父エギベルトとは共演アルバムを発表するなど、付き合いも深く、長い。しかも、エギベルトとナナは、1984年に、生まれてまもない彼女に捧げた曲「ビアンカ」を演奏、共演アルバム「ドゥアス・ヴォーゼス」に収録している。
「この曲をいつ初めて聴いたのかは、あまりに小さい頃だったのではっきりと覚えてはいませんが、その後、父と兄と一緒に演奏したときのことはよく覚えています。演奏をしながら、ああ自分の一部がこの曲の中に入っているんだなあと感じました」
家族ぐるみでもつき合いが長いというナナからの影響も、少なくないという。
「ナナはとってもチャーミングな人で、家族ぐるみで親しくしています。音楽家としてもとても尊敬しています。しばらく合衆国に住んでいたのでその間はあまり会っていませんが、帰国してからはまたよく会っていますよ。ついこの間も一緒に演奏して私はピアノを弾きました。彼は今はヘシーフィ近くの街に住んでいます。新しい作品のための録音を聴きましたが、もう、本当に美しい音楽ですよ。ナナの音楽は常に、自然と一体となっていて、繋がっています」
自然と一体となった音楽、というのは、豊かな自然に恵まれたブラジル音楽の多くに見られる特徴でもある。エギベルト・ジスモンチもそうだし、アントニオ・カルロス・ジョビン、ホベルト・メネスカウ(ロベルト・メネスカル)…言い出せばきりがない。ビアンカの育った家(つまりエギベルト・ジスモンチの家)はジャルジン・ボタニコ(植物園)のすぐ近くだけあって、ビアンカはジャルジン・ボタニコを庭のように親しんで育ったという。
「生まれたのはガーヴィアで、その頃からもジャルジン・ボタニコに連れて行ってもらっていましたが、9歳ごろからジャルジン・ボタニコの近くの家に引っ越したので、もっと身近になりました。今でも2日置きくらいに通っていますよ。私の生活そのものが、緑と水との繋がりがとても深いといえます」
ちなみにジャルジン・ボタニコは、並の植物園ではない。かつてポルトガル人が入植する前、ブラジルの大西洋に面した海岸が森林だったころの面影をも残す広大な植物園で、絶滅危惧種の原生林も残されている。公園の中に入ってしまえば、外の街のことなど忘れて、500年以上昔のブラジルに想いを馳せることだって可能だ。自然と音楽とか一体となっていたトン・ジョビンもまた、そんなジャルジン・ボタニコを愛した音楽家だった。
「“バラに降る雨”なども、自然と一体となった曲ですね。トン・ジョビンはブラジル音楽のひとつの柱です。ブラジルという国を音楽でとても美しく表現しました」
父エギベルト・ジスモンチもまた自然と一体となって音楽を紡いでいた。アマゾン地方の熱帯雨林で先住民族と寝起きを共にする生活をしたことのあるエギベルトは、熱帯雨林にインスパイアされた作品も発表している。
「私はまだアマゾン地方の森林に行く機会を持ったことがないのですが、行けばきっと多くのインスピレーションを得ると思います。自然というのはとてもピュアなもので、失ってしまうともう代わりになるものがない、かけがえのないものです。だから自然からインスピレーションを受けて音楽を生み出すということは、いかに音楽がピュアであるか、ということだと思います。そのことを私たちも、心がけています」(次ページへつづく)。
(文/麻生雅人、撮影/米田泰久、写真提供/COTTON CLUB)