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“ジウマ氏が再選したら国を去る”!? 有名歌手ロバォン、“出国宣言”は誤解と弁明

ジウマ大統領抗議デモ

「ある日昼食をとっていたとき、大勢の人たちが同様に、ブラジルを出るという話をしていました。ブラジルからの集団脱出は事実です。私はこれらのことについて、とても心配していると、話したのです。ブラジルで暮らす上での最低限のセキュリティがないからです。もしこの状態が続くなら、私たちは独立村をつくらなければならないね、と話したんです」(ロバォン)

またロバォンは、このコメントの揚げ足をとって私が国を出ると約束したから国を出ろと皆ではやし立てるのは完全にファシズムだ、と語った。

「現在、『ロバォンの送別会』というページは何ページもできています。“ブラジルは私のものだ、出ていけ”というコメントも見ました。一連の騒ぎは民主主義からかけ離れています」(ロバォン)

これらの声に対してロバォンは27日、自身のフェイスブックを通じて自身が国内に留まるというコメントを記した。ロバォンは、1822年、ブラジル独立後に初の皇帝となるペドロ王子が、ポルトガルに帰国せずにブラジルにとどまった時に述べたといわれる「ヂア・ド・フィッコ」のフレーズを引用して、「良き人たちと、労働者党(PT)を揺さぶるためなら、私はここに残ると国の人々にいう」とコメントした。

ブラジルがまだ独立する前のこと。1808年から1821年までの14年間ポルトガル王室は、ブラジルのリオデジャネイロにあった。ちなみにこの間、1815年に、それまでポルトガルの植民地だったブラジルは、ポルトガル王国を構成する王国のひとつに昇格している。そのころからポルトガル王国の本国帰還が求められ、1821年、ジョアン6世はリスボンに帰還。しかしジョアン6世はペドロ王子をリオに残した。

当時ブラジルでは、王室帰還によってふたたび植民地となることに反対する声が高まり、独立の気運が高まっていた。大勢の人にブラジルに留まる事を望まれたペドロ王子は1822年1月9日、「皆と国民全員の幸せのためなら、私はここに残ると国の人々にいう準備はできている」と述べたといわれている。その後、9月7日にブラジル帝国の独立を宣言、同年にドン・ペドロ1世として初代皇帝の座についた。

「発言や行動がリスクを伴うことは承知してしています。私にも権利はあります。だから私は逃げ隠れしないし、あきらめもしません」(ロバォン)

また、ジウマ大統領が再選したことは「大いなる悲劇」だと語りながら、冷静さを欠いているようにめる人々についてもコメントした。

「暗い雲に覆われて、憎悪に溢れています。国は二分されて、分断が進んでいます。以前はブラジルではなかったことが今、起きています。これは非常に危険なことです。私たちは、みな兄弟であることを理解すべきです。憎悪を緩和して穏やかな行動をとるべきです」(ロバォン)

(文/麻生雅人、写真/Oswaldo Corneti/Fotos Públicas)
写真は11月1日、サンパウロ、パウリスタ大通り。ジウマ大統領再選への抗議デモ参加者

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