ブラジル発オーガニック・グルメ・チョコレートのパイオニア「AMMA(アマ)」(前編)

2015年 02月 12日

アマ・ショコラッチ

アマ・ショコラッチ創設者ジエゴ・バダロ(Diego Badaró)は、ブラジルにおけるカカオ全生産量の70%を占めるバイーア州の、カカオ豆生産農家バダロ家の第5代目です。

現在、バイーア州イタカレに6つのカカオ農園を所有しているバダロ家は、バイーアの著名な作家ジョルジ・アマードの小説「果てなき大地(Terras do Sem Fim 1943 )」「イリェウスのサン・ジョルジ(Sao Jorge dos Ilheus 1944)」にも登場します。

20世紀初期、バイーア州は世界最大のカカオ豆生産地としてその名を馳せていました。しかし、80年代後期から90年代初期にかけ、バイーア州のカカオ農園を襲った病気「バッソラー・デ・ブルーシャ(ポルトガル語名)」によって、カカオ豆の生産量は半分以下にまで激減。カカオ豆生産農家たちは壊滅的な被害を受けて、その多くの農園は放棄地となってしまいました。バダロ家も、例外ではありませんでした。

その窮地から這い上がるべく立ち上がったのが、ジエゴでした。

アマ・ショコラッチ

2002年にジエゴは、既存の農法を廃し、上質のカカオ豆(通称:グルメカカオ-ブラジル・カカオ全生産量のわずか5%。海外流通量はその0.5%)に焦点を絞り、自然環境に配慮したオーガニック農法、森の自然のありかたに逆らわないカブルッカ農法を新たに採用。約4割増となる生産コスト、古株の生産者の反対に会いながらも、何年もの間放置されていた先祖代々のカカオ農園の救済、再生に勤しみました。

それから5年後、アマ・ショコラッチが誕生します。

2007年、ジエゴは、あるアメリカ人ショコラティエとの運命的な出会いを果たしました。当時、アメリカの大手オーガニックチョコレート専門メーカーだったダゴバ(DAGOBA)の創設者、フレデリック・シリング(Frederick Schilling)です。

両者の交流は、ジエゴが自製のカカオ豆をフレデリックに送ったことに始まり、その品質に感銘したフレデリックは、すぐにバイーア州に飛んで農園を視察。オーガニックフードプロジェクトを展開していくことで意気投合した二人は、やがてパートナーショップを結び、オーガニックチョコレートブランド「アマ・ショコラッチ」を立ち上げました。

やがてアマ・ショコラッチは広く世界中で注目を集めて行きました。2010年の12月には、チョコレートアカデミー創設者であるイギリス人のサラ・ジェーン・エバンスが「Chocolate Unwrapped — taste and enjoy the World’s Finest Chocolate」という本の中で、「アマ・チョコレート・タブレット75%」を世界のプレミアチョコレートとして紹介ました。

2012年には、「アマ・チョコレートタブレット45%」が、国際チョコレートアワード・アメリカ予選の生産国部門で金メダルを取得しました。

次回、後編ではアマ・ショコラッチが起こそうとしている革命についてお話します。

(文/井川裕美子、写真/Divulgação/AMMA Chocolate)
アマ・ショコラッチのチョコレートは「サロン・デュ・ショコラ」会場の一部で販売。西武・そごうがGWに開催すると噂されるブラジルフェアでも販売予定

12
著者紹介

井川裕美子 Yumiko Ikawa

井川裕美子  Yumiko Ikawa
2010年、ブラジル人との結婚を機に、ブラジル南部のサンタカタリーナ州に移住。大の甘党で、自称スウィーツホリック。特にチョコレートをこよなく愛する。地元のチョコレート工場で働いた後、自宅にてブラジル産有機カカオバターとカカオパウダーを使った高カカオチョコレート作りを始め、カカオのおいしさに目覚める。チョコレートの真髄であるカカオを肌で知るため、バイーア州イタカレのカカオ農園を訪れる。チョコレートを通じた日本とブラジルのさらなる交流拡大を目指し、チョコレート大使として、まずはブラジル産チョコレートを日本に普及すべく尽力中。

連絡先はyikawa79@yahoo.co.jp
コラムの記事一覧へ