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ブラジル出身、東京発のマルチメディアアーティスト、YOHAN

ヨハン

「僕がブラジル人らしさを取り戻したと感じていたころ、母が日本に戻りたいというので、一緒にまた日本へやってきました。モデルをはじめることになったのは、母が知らない間にエージェントに写真を送ったら気にいられたのがきっかけでした。とはいっても、最初はすごく大変でした。東京に引っ越して最初の一年間はバイトをしながら、オーディションや撮影なに次々挑戦する日々でした」

キャリアをスタートさせて1年後くらいから、海外からも声がかかるようになった。2006年、16歳で東京のトップエージェンシーと契約して19歳までモデルとして多忙な日々を過ごした。

そしてファッション業界の中でYOHAN(ヨハン)は新たなビッグチャンスを得て、音楽を中心としたマルチメディアアーティストとしてのYOHANを産むきっかけを掴む。セレクトショップ、リステアのスタッフに迎えられたのだ。

「リステアに入れたことは、一番感謝していることです。新しいキャリアを作る、大きな機会でした。リステアでは、ハイファッションの世界と深く接することができました。世界中の優れたデザイナーのことを覚えることもできました。チームで仕事をすることなど、社会人としての仕事のやりかたも学ぶことができました」

リステアではビジュアルマーチャンダイザーも務め、これが、現在のアーティストとしてのキャリアの礎となる。

「クリエイティブな仕事ができたことは、なにより大きな糧となりました。マネキンのスタイリングやお店のレイアウト、ディスプレイなどを一人で考えて作ることは最高の経験でした。僕がファッションに関して抱いているファンタジーを、アートとして見せることができたのですから! (アーティストとしての)今の自分の原点ですね」

英国発のファッションブランド、JIMMY CHOO(ジミー・チュウ)・ジャパンでもビジュアルマーチャンダイザーとして迎えられた。

「まだ若い身なのに日本全国のリーダーとしてのポジションを任せてもらえたのですから、ありえないような経験でした。とても感謝しています。僕の人生の中で、とても大切な時期でした」

しかし、好きなファッションの世界とはいえ、ビジネスとしてかかわる以上は苦労も負担も少なくない。日本の社会人としての生活に疲れたYOHANは再び本国ブラジルへ一時帰国するが、そこで待ち受けていたのは、また新たなチャンスだった(次ページへつづく)。

(文/麻生雅人、写真提供/Virgins in Town)

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