日本ハムグループ、ブラジル市場へ再挑戦
2016年 08月 30日世界で一番の「食べる喜び」を提供する会社を目指して食肉加工からスタートした日本ハムグループは日本で1942年に設立された。
以来、企業史の中でその事業を食肉から始め、加工食品・水産物・乳製品・健康食品などあらゆる食品分野へと広げてきた。
海外事業への進出は、1977年の米国・78年の豪州を皮切りに現在、18カ国33社に広がっている。
ブラジルでの日本ハムの歴史は、日本ハムグループとして1989年に現地法人の「ブラジル日本ハム」をサンパウロに設立したことからはじまる。
それから18年間、主に畜産品の日本向け輸出拠点として業務を行っていたが、それ以外の新しい商売を生み出せなかった事、また当時ブラジル大手食品企業の SADIA(サヂア)とPERDIGAO(ペルヂガォン)(のちに両社が合併してBRF(ブラジルフーズ)となる)、SEARA(セアラー、現JBS)が相次いで日本に営業拠点を設立した事で、ブラジルにおける畜産品の窓口業務が激減した事などを受け、2007 年に閉鎖された。
しかしながら、閉鎖後もブラジルの畜産大国としての重要性は揺るがず、むしろ、第二次ルーラ政権下でインフレ・為替リスクが大幅に後退した当時のブラジルは存在感を増していった。
また、畜産業界では当時大手企業(BRFやJBS)による中小パッカーの買収が相次ぎ業界再編が進んだ事で、結果として情報の一極化を招き、ブラジルから日本へ輸入される畜産品は、より一層相場の影響を受けるコモディティ商品化していった(次ページへつづく)。
(文/西裏昌弘、記事提供/ブラジル特報(日本ブラジル中央協会)、写真/ANPr/SINDIAVIPAR)
写真はパラナ州クリチーバ市の食肉工場。同州はブラジルにおける鶏肉輸出をけん引している