サンパウロに5つ星ホテル「パラシオ・タンガラ」オープン
2017年 05月 14日ブルレ・マルクス公園に大規模な自然の姿が残されている理由と、”オスカー・ニーマイヤーの幻の建築”とには、深い関係があった。
「現在公園となっているこの土地は、かつてブラジルの有名な富豪の所有するシャカラ・タンガラと呼ばれるシャカラ(農園別荘地)でした。この富豪は夫婦で暮らすための屋敷の設計をオスカー・ニーマイヤー、庭園の造形をブルレ・マルクスに依頼しましたが、屋敷が完成する前に夫婦が離婚してしまい、建物も庭も未完成となったのです」(ジャン=ピエール・スートリック・セールス&マーケティングシニアヴァイスプレジデント)
その富豪とは、稀代の国際的プレイボーイとしても名を馳せたベイビー・ピニャターリ。イタリア系移民のマタラーゾ一族の一員だ。
シャカラとは農園や家畜の飼育などができる場所もある広い別荘地で、サンパウロの発展や都市化は、シャカラの歴史と密接な関係がある。
歴史家のアリッシ・ピフェル・カナブラによると、サンパウロの近代化が始まったのは1880年代からで、南東部でコーヒー産業が巨大化していく中、海外から多くの移民が流入して、コーヒーで富を得た者が、まだ大西洋岸森林の自然が残されていたサンパウロに次々とシャカラを作っていったことに端を発するという。
20世紀に入ると、かつてシャカラだった土地が開発されて、都市化が進んだ。かつて貴族階級の人々が多く住んでいたエリアにあったシャカラが都市化したのがヴィラ・ブアルキ地区やイジエノーポリス地区。1950年代には、まだ多くのシャカラが自然のまま姿を残していたという。
シャカラ・タンガラは、ベイビー・ピニャターリがもともと所有していたシャカラに、近隣のシャカラをどんどん買い足して大きくしていったシャカラだった。トータルで48万2000㎡あったといわれ、地形には高低もあり、シャカラの中には川も流れていた。
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(文/麻生雅人、写真提供/オトカーコレクション)