日系3世の料理研究家、平田マリさん死去

2021年 05月 31日

写真は2015年6月5日、伊勢丹新宿店のブラジルウィークで、ブラジル料理とブラジル食文化のセミナーを行った平田マリさん(撮影/麻生雅人)

日系ブラジル人(3世)の料理研究家の平田マリ(Mari Hirata)さんが5月30日(日)に東京で、癌のため死去した。現地メディア「フォーリャ・ジ・サンパウロ」、「ヴェージャ」、「UOL」、「コヘイオ・ド・ポーヴォ」などがこぞって報じている。61歳だった。

写真は2014年6月13日、駐日ブラジル大使館。FIFAワールドカップブラジル大会の開催期間にオープンしたサッカー・パヴィリオンで、来場者のためにブラジルの「タピオカ」を作る平田マリさん(左)(撮影/麻生雅人)

サンパウロで生まれ育ったマリヒラタさんは、1980年代にフランスのパリで菓子作りを学んだことが料理人となる第一歩だったという。

その後、来日して「とらや」で和菓子作りを、再度渡ったパリではコルドンブルーで料理を学んだ。

同校卒業後はパリで、三つ星シェフ、アラン・パッサールの「アルページュ」などさまざまなレストランで修業したが、育児のため料理人を続けることを断念して、以降は料理研究家として活躍した。

2001年に「Toraya Café」の招聘で再来日して以降は日本を拠点にしながら、母国ブラジルをはじめ世界各地を飛び回って活動。

ブラジルでは著名な雑誌「フォーリャ」ではガストロノミーのコラムニストとして活躍しながら、ブラジルに和食の素晴らしさやエッセンスを伝え続けた。2008年に「Minha Cozinha Japonesa」(Publifolha)を出版している。

日本では、料理監修、料理教室講師、料理コンテストの審査員としても活躍。2014年と2015年には、伊勢丹新宿店で開催されたブラジルウィークで、ブラジル料理おもてなしレストランの監修を務めた。駐日ブラジル大使公邸での晩餐会でも欠かせない存在だった。

(文/麻生雅人)