ブラジルの新鮮なニュース、コラムを独自の目線から楽しくお届けします。もっとブラジルのことを知ってもっと好きになろう!

ヴィニシウス・ヂ・モライスの手書き原稿や書簡など、デジタルアーカイヴで無料公開される

ヴィニシウス・ヂ・モライス(写真/Divulgação)

映画「黒いオルフェ」の原案となった戯曲の作者であり、「イパネマの娘」をはじめとする数々のボサノヴァの名曲の作詞者としても知られる、詩人・外交官・シンガーソングライターのヴィニシウス・ヂ・モライス (1913年~1980年)の生涯と作品のコレクションが収蔵された「ヴィニシウス・ヂ・モライス・デジタルアーカイヴ」(http://acervo.viniciusdemoraes.com.br)が、5月27日(木)に公開された。「アジェンシア・ブラジル」が伝えている。

1980年代末まで遺品はリオデジャネイロ市ガーヴェア地区のヴィニシウス宅で保管され、姉のリジア・ヂ・モライスと妹のライチッチア・ヂ・モライスによって管理されていた。

これらは1987年にヴィニシウスの遺族からカーザ・ヂ・フイ・バルボーザ財団(FCRB)のブラジル文学アーカイヴ博物館 (AMLB)に寄贈され、1992年よr一般公開されている。

今回、デジタルアーカイヴ化されたことで、ウェッブを通じて公開される運びとなった。アーカイブはサイトを通じて研究者や一般の人向けに無料で公開されている。

資料のデジタル化プロジェクトは、資料の保存と一般公開という2つの目的のために行われたという。プロジェクトはヴィニシウスの孫にあたるジュリア・モライスの発案から始まり、甥の子でデザイナーでもあるマルクス・モライスが技術面でのコーディネートを担当した。

詩や歌詞、書簡など、1908年から残されている11,000件以上のオリジナル資料が公開されており、画像は35,000以上になるという。

「想いあふれて」、「インセンサテス」、「オサーニャの歌」、「イタプァンの午後」、「ア・カーザ」など手書きの歌詞のいくつかは、下書きや修正した箇所も公開されており、歌詞が完成するまでの過程をうかがい知ることもできる。

「(ヴィニシウス)の創造のプロセスを見ることができます。まるでヴィニシウスのノートや引き出しを開いたかのようです。彼がどのように言葉を紡いでいったかを見ることができ、とても興味深いです。彼は走り書きをして、それから詩をブラッシュアップさせて完成させています。非常に系統的で、詳細で、完璧主義者でさえあります」(マルクス・モライス)

マルクス氏は、これらの手書きの歌詞から、ヴィニシウスが韻やメロディ、反復にとても気を配って歌詞を書いていたことがうかがえるという。

「良い韻律であるように、そして歌いやすいように、こだわって書かれいることがわかります。これらをうかがうことが出来るのは大変興味深いことです」(マルクス・モライス)

「フェリシダーヂ」に関し、共作者アントニオ・カルロス・ジョビンが1958年9月28日付でヴィニシウスに送った手紙には、著作権の支払い、合衆国でのブラジル音楽の普及、録音に関する意見や、ジョビンが合衆国におけるブラジル音楽のイメージを変えようと奮闘した様子などがつづられている。

書簡の中には、1949年12月15日に英国の喜劇王チャールズ・チャップリンが、在アメリカ合衆国カリフォルニア州ブラジル領事館在職中のヴィニシウスに送った礼状や、1964年5月18日に友人でもあった作家フーベン・ブラガからヴィニシウスに送った手紙などもある。

マルクス・モライスによると、第三者が関わる資料が含まれているため、現時点で公開の承認が手続き中の資料も一部あるという。

「連絡を取ったほとんどの人から同意をいただいていますが、現時点でまだこのプロセスの過程にある人もいます。私たちは適切な法的手続きにのっとってプロジェクトを進めています」(マルクス・モライス)

ヴィニシウスが作品を発表していた頃の新聞記事の切り抜きなど、カーザ・ヂ・フイ・バルボーザに保管されている他の資料も、今後、デジタルアーカイヴ化が進められる予定とのこと。

(文/麻生雅人)

■関連記事
ヴィニシウス・ヂ・モライス「A Casa」のモデルになった家
“イパネマの娘”、ワクチン接種受ける
1934年に銀座で公開されていた藤田嗣治がブラジルを描いた幻の作品画像もお披露目
藤田嗣治の旅と色彩に焦点をあてた展覧会「フジタ-色彩への旅」開催中。リオで描かれた作品も展示
ブラジルの国民的漫画家マウリシオ・ヂ・ソウザと手塚治虫との交流にスポットを当てた展覧会、今月より開催

このエントリーをはてなブックマークに追加