ポルトガル対スペイン、100年前にもブラジルで7月6日に因縁の対決
2026年 07月 6日
ポルトガルとスペインが初めてサッカーで対戦した1921年12月19日よりも前から、イベリア半島の隣国同士のライバル意識は、はるか遠く離れた場所に存在していた。より正確に言えば、サンパウロ州南部の海岸都市サントスである。ちょうど107年前、“クラシコ・ダス・コロニアス(コロニア対決)”と呼ばれる伝統の一戦の初対決が、ポルトゥゲーザ・サンチスタとジャバクアーラの間で行われた。
創設者の出自(ポルトガル系/スペイン系)を色濃く反映する両クラブが、初めて対戦したのは1919年7月6日だった。奇しくも、2026年のこの月曜、両国代表がワールドカップ準々決勝進出を懸けて対峙する日と同じである。試合はブラジリア時間16時(日本時間では翌日午前4時)、米国ダラスで行われる。
1919年7月6日のその試合では、ジャバクアーラが1対0で勝利した。正確には、当時のクラブ名であるヘスパーニャ・フートボール・クラブとして勝利した。1914年11月15日、サントスに暮らすスペイン人の新聞売りたちが、ジャバクアーラ地区に集まり結成したクラブである。
“H”の文字には理由がある。“Hespanha”という綴りは、ローマ人がイベリア半島を指した“Hispania”に由来するだけでなく、スペイン北西部の自治州ガリシアの文化的アイデンティティを示す表現でもある。サントスのスペイン系コミュニティの約80%は、ガリシア出身者またはガリシア系の家族だ。
「このコミュニティの使命は、スペイン文化を生きた形で維持することです。特に、ここに移住した子孫やその支持者のために。コミュニティは三つの組織で構成されています。一つはセントロ・エスパニョール・デ・サントスで、卓球、ダンス、語学講座、フートボール・デ・ボタンなど多様な活動があります。もう一つは社会支援を行うソシエダーデ・ベネフィセンチ・ロサリア・デ・カストロ。そしてスポーツ団体がジャバクアーラです」と、ジャバクアーラ(愛称ジャブーカ)の会長ジョゼー・ドミンゲス・フェルナンデス(ペペ)がアジェンシア・ブラジルに語った。
ヘスパーニャ誕生から3年後、サントスの理髪店の一角に集まっていたポルトガル人のグループが、ジャバクアーラ創設に触発され、自らのコミュニティを代表するクラブを作ることを決めた。1917年11月20日、アソシアサォン・アトレチカ・ポルトゥゲーザが誕生した。
「クラブに来る人々の多くは、ポルトガル系コミュニティの組織に所属しています。カーザ・ダ・マデイラ、ポルトガル文化センター、そして領事館もそうです。すべてが一つの大きなグループで、複数の団体が常に結びついています。なぜなら、同じ歴史を共有しているからです」と、ブリオーザ(ポルトゥゲーザ・サンチスタの愛称)の会長フレデリコ・バへイロスがアジェンシア・ブラジルに語った。
両クラブの歩みは、ブラジルのスポーツ史、さらには国の歴史とも随所で交差する。例えば1941年には、両クラブはサンパウロ州サッカー連盟(FPF)の創設メンバーとなった。より“有名な”隣人クラブであるサントスと同様に、両者はその中心的役割を担った。
一方で、ブリオーザ(ポルトゥゲーザ・サンチスタ)は1938年のワールドカップでブラジル代表に招集されたMFアルジェミーロを輩出した実績を持つ。対するジャブーカ(ジャバクアーラ)は、史上屈指の名GKの一人であるジウマール・ドス・サントス・ネヴィスを育てたことを誇りとしている。ジウマールは1958年、1962年のW杯でブラジルを連覇へ導いた守護神だ。
ヘスパーニャからジャバクアーラへの名称変更は、第二次世界大戦と関係している。ジェトゥーリオ・ヴァルガス政権下の1942年3月11日に公布された政令4,166号は、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)に属する個人・法人の資産を、戦争によってブラジルが受けた損害補填のために没収できると定めた。
この動きにより、該当国に関連する団体は名称変更を余儀なくされた。サンパウロのパレストラ・イタリア(現パウメイラス)、ミナスジェライスのパレストラ・イタリア(現クルゼイロ)、サンパウロ市のゲルマニア(現エスポルチ・クルビ・ピニェイロス)などがその例である。ヘスパーニャも創設地であるジャバクアーラ地区の名を採用した。興味深いことに、現在クラブの本拠地はジャバクアーラではなく、サントス北西部のカネレイラ地区にある。
ポルトゥゲーザ・サンチスタもまた、歴史において“ピッチ外の大きな出来事”を刻んでいる。1959年、クラブはアフリカ大陸への遠征を行い、アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカを訪れた。ケープタウン選抜との親善試合を前に、ブラジル側の選手3人──ネネ、ボタ、ギリェルミ──が黒人であることを理由に出場を禁じられた。
ブリオーザはこれを受け入れず、試合は中止となった。この拒否は当時のブラジル大統領ジュセリーノ・クビシェッキにも支持され、ブラジル政府による初の“反アパルトヘイト公式声明”となった。その後のアフリカ遠征では15試合を戦い、15勝。これによりポルトゥゲーザ・サンチスタは“フィッタ・アズウ(青のリボン)”を授与された。これは1950〜70年代に、海外遠征を無敗で終えたクラブに与えられた称号である。
<百年の伝統>
スペイン代表とポルトガル代表の対戦成績は、スペインが17勝、18分け、ポルトガルが6勝と、スペインが優勢だ。
一方、“ブラジル版クラシコ”ではポルトゥゲーザ・サンチスタが優位に立ち、174試合中76勝。ジャバクアーラは53勝、45分けとなっている。両クラブの対戦の大半(48試合)は、サンパウロ州選手権のトップカテゴリーで行われた。しかし直近の対戦は2016年で、当時はともに州選手権の4部(当時の最下位カテゴリー)に所属していた。
2006年を最後にパウリスタォン(サンパウロ州選手権)の1部から遠ざかっているブリオーザは、歴史的3位から3年後の降格を経て、2024年に1部復帰へあと一歩まで迫ったが、A2(2部)準決勝でノロエスチにPK戦の末敗れ、昇格を逃した。翌シーズンには降格したものの、今年A3(3部)で優勝し、2027年に向けてサンパウロ州2部へ返り咲く。
「今はシーズンが止まっていて、再開は来年です。コパ・パウリスタ(ブラジル杯や全国4部への出場権が得られる州大会)には参加しない選択をしました。財政的に成立しないこと、そしてクラブのいくつかの部門を再構築する機会だと判断したためです」(バへイロス会長)
1927年と1934年に、FPFが消滅したアマチュアリーグや旧サンパウロ・フットボール連盟の大会を公式大会として認定したことで“準優勝”の記録を持つジャブーカは、1964年の降格以来トップカテゴリーから遠ざかっている。現在、“レアォン・ダ・カネレイラ”(ジャバクアーラの愛称)はA4(4部)に所属し、州リーグの下から2番目のカテゴリーに位置する。2026年は16クラブ中12位だった。
「運営面で言えば、我々の大きな誇りは“負債ゼロ”であることです。クラブの本質であるサッカーについては、FPFの男子カテゴリーすべて──育成からプロまで──に参加しています。もちろん、これはパートナーシップがあってこそ成り立つものです。現在は新たな投資に踏み出し、トレーニングセンター建設を開始したところです」(ペペ会長)
<クラシコはどちらが勝つ?>
アジェンシア・ブラジルは、ポルトゥゲーザ・サンチスタとジャバクアーラの両会長に、W杯での“クラシコ”(ポルトガル×スペイン代表戦)でどちらを応援するかを尋ねた。予想どおり、ルシタニア(ポルトガル)とヒスパニア(スペイン)の血が、それぞれ強く反応した。
「昨年のネーションズリーグ(欧州代表の大会)では、ポルトガルがスペインを破って優勝しました。今回も大一番になるでしょう。正直、またポルトガルが勝って突破してほしい。友人のペペがスペインの敗退で怒ることを願っています。我々ではなくね」と、ブリオーザのバへイロス会長は冗談めかして語った。
「両代表は同じレベルで、どちらも強豪です。しかし私は当然、歴史を踏まえてスペインを支持します。2対1でスペインが勝つ展開を“最高”と考えています。スペインにもう一つ勝利を積み上げられることを願っています」と、ジャブカのペペ会長は締めくくった。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)




