パラー州。日系移民の街トメアスーで、アグロフォレストリー(森林農法)を見学。
2015年 02月 4日今回は前回のアマゾナス州のお隣、北部地方のパラー州についてご紹介したいと思います。
州都のベレンはよくご存じの方もいらっしゃると思いますので、わたくしからはブラジル日系移民入植地の代表的存在であるTomé-Açu(トメアスー)移住地を訪問した際の写真をご紹介します。
トメアスーは、パラー州の州都ベレンから約260km南下した、以前のアカラ郡から分離独立した日系移民の街です。筆者が訪ねた時は長距離バスで約5時間かかりました。
1908年のサントス港への第一回移民から20年後となる1928年に、189名(43家族)がトメアスーに入植しました。サンパウロ州、パラナー州に次ぐ日系移民コロニアで、現在は約1,000人(250家族)の日系人が居住しているとのこと。長い歴史の中で溶け込み今や住民の9割はブラジル人だとか。
小学校の塀にはこんなイラストがありました。
入植後まもなくは米や野菜の栽培を試みるも、当時野菜を食べる習慣のなかった北部地方のブラジル人の口に馴染まず、相当な苦労があったと伺いました。しかしその後、シンガポールから持ち込んだコショウ(pimenta-do-reino)の栽培で成功。1970代初頭ごろまでピメンタ景気を謳歌。ピーク時は450家族の日本人が居住し、胡椒の栽培は年間5,000トンに達したそうです。
胡椒栽培で栄えたトメアスーでしたが、1960年代から70年代初頭にかけて胡椒農園に病害が広がったところ、単一栽培だったことから胡椒農園が壊滅的な大打撃を受けてしまいます。
試行錯誤の末、トメアスーはモノカルチャー農業からの脱却を企図し、80年代にかけてカカオやパッションフルーツ等を複合的に栽培、収益の安定化を図り始めたそうです。
現在は単一栽培ではなく、さまざまな作物と共に胡椒も栽培されています。移民資料館にも、トメアスー農協(CAMTA)が生産している胡椒が展示してありました。
現在ではアサイーやアセロラが稼ぎ頭となり、JICAの協力の下、果汁生産や冷凍を行う工場も建設。80年代後半から景気が復活した胡椒と共に安定した農業経済が築かれたそうです。
通年で安定したアマゾンの気候を活用し、同じ農地に多数の異なる作物を栽培する複合農法は、「アグロフォレストリー/(森林農法)」と呼ばれ、近年学術論文の発表や学会の開催もあるなど、注目を集めているそうです(次ページへつづく)。
(写真・文/加藤塁)